(日経ビジネス2018年2月19日号より転載)

(写真=陶山 勉)

 僕は昨年4月から、東京大学のIoTメディアラボラトリーで、IoT(モノのインターネット)とAI(人工知能)、それらの基盤となるスーパーコンピューターについて、一人のエンジニアとして研究に取り組んでいます。2年前に60歳になった時、やはりもう一度エンジニアとしてこの分野に関わりたいと、心が沸騰したからです。

 振り返れば、僕の人生は15年周期で変化してきました。15歳までは、ひたすらいい子でした。本を読んで静かにして、親の言うこともよく聞くようなね。だけど、高校に入った頃から、変な子になりました。ろくに勉強もせず、アマチュア無線に熱を上げていました。エンジニアになることを夢見る、いわゆる電気少年です。

 大学では小さな会社をやり、揚げ句の果てにアスキーを創業し、米マイクロソフトに行ってパソコンに没頭しました。30歳まではエンジニアとしてテクノロジーを追求していたんです。

 次の15年は経営者の時代です。アスキー社長として、当時最年少の33歳で株式を上場し、一時は自分の持ち株の評価額が400億円くらいになりました。しかし、バブル崩壊後に経営は悪化しリストラなどに苦しみ、最終的にはCSKに売却して会社を追われました。

 そこから60歳までは大学に関わりました。国際大学のGLOCOM(グローバル・コミュニケーション・センター)という研究所や国際連合大学、米マサチューセッツ工科大学(MIT)などに行きました。MITでは教員をしながら、「AIの父」と言われたマービン・ミンスキー教授に指導してもらいました。日本に戻ってからは祖母が創立した須磨学園の学園長をしながら、尚美学園大学の教授として新たな学科も立ち上げました。