外交と安全保障の分野に携わる上で大事にしたのは「振り子を素早く静かに真ん中に戻す」こと。安保法制の仕事はこれを実践する場になりました。終戦後、それまでの軍国主義への反動から非武装がもてはやされた。しかし、これは現実的ではなかった。先人が日米安全保障条約を締結してくれたこと、そして自衛隊を作ってくれたことに続いて、安保法制を成立させることによって振れすぎた振り子を真ん中に戻すことに貢献できたと考えています。

 振り子の話も父の経験につながります。父は、日米戦争の回避を目指す第2・3次の近衛内閣で首相秘書官をしていました。開戦前に「近衛は戦争をする勇気がない」と批判していた同じ人が、戦後になると「近衛は戦争を止める勇気がなかった」と批判したそうです。

 父は私にとって尊敬すべき師です。サイパン島が玉砕する直前、内務省国土局総務課長を務めていた父は、物資が不足する窮状を憂慮し、内務相宛てに「救国の決断を」と記した(終戦を促す)上申書を提出するに至りました。その後は、憲兵の尾行がつく生活を余儀なくされています。

 父の衆院議員としての選挙戦績は2勝5敗。政務次官しか経験していません。しかし父には「信者」と呼べる支持者がいました。12連勝した私には「ファン」はたくさんいましたが、信者がいたとは思えません。今でも父に追いつけたとは思いません。(談)