東南アジアの物流について取材するため、タイ北部の都市ピッサヌロークからミャンマー最大の都市ヤンゴンまで陸路国境を越えて旅したことがあります。2019年8月のことです。
 東南アジアの物流といえば海運が一般的ですが、インフラの拡充にともない、陸運に注目が集まっていました。今年2月にミャンマーで工場を稼働させることを計画していたトヨタ自動車もその1社です。バンコク近郊にある生産拠点からマレー半島を迂回し、海路で大型部品を輸出する計画ですが、いずれは陸路も活用できるのではないかとインフラ整備に期待を寄せていました。ただ、現状ではミャンマー国軍によるクーデターが起きたため、工場の稼働自体ができていません。
 一昨年の旅に話を戻しましょう。ヤンゴンに向かう途中、モーラミャインという町に立ち寄りました。ミャンマーの主要河川の1つ、タンルウィン川の河口に面して比較的大きな工業団地があるという話を聞いたからです。
 ですが実際に訪れてみると、そこには原野が広がっていました。工場もありましたが、数カ所しか確認できません。上の写真のような簡素な家と小さな船が並ぶ川べりでぼんやりしていると、近くにいた同じく手持ち無沙汰の中年男性が話しかけてきました。「今は見ての通り、ほとんど何もないところだ。でも、いずれここには大きくて立派な港ができる。工場だってどんどん集まって来るぞ」。男性の確信的な口調が印象的でした。
 軍政が長く続いたミャンマーは、国連から「後発開発途上国(特に開発の遅れた国)」に指定されるほど経済的に立ち遅れました。ただ11年に民主化が実現して以降、国内にはこうした希望がそこかしこに芽生えていたのではないかと思います。国境付近の村で話を聞いた農家も、同じように明るい未来を口にしていたのを覚えています。「道路を往来するトラックの数が目に見えて増えた。この辺りはまだ電気すらまともに来ないが、そのうち必ず栄えて、にぎやかになるだろう」
 一方で、国を実質的に率いていたアウン・サン・スー・チー氏に対しては、その政治手腕を疑問視する向きもありました。15年の総選挙でスー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)は大勝を飾りましたが、政権が期待ほどの成果を出したとは言えなかったからです。20年11月の総選挙では、国内外のメディアがNLDの議席減を予想していました。
 結果は事前予想を覆すものでした。NLDは前回選挙を上回る勝利を収めたのです。ミャンマーの有権者は、メディアよりも状況を冷静に見ていたと言えるかもしれません。約半世紀にわたる国軍の独裁で疲弊した国を、たった5年で立て直すことはできません。経済開発にしろ、少数民族問題にしろ、時間をかけて取り組まなければ難題を乗り越えることはできないということを、多くの人々は分かっていたのではないでしょうか。だからこそミャンマーの人々は短期的な成果の有無に惑わされることなく、スー・チー氏に引き続き将来を託そうとしたのだと思います。
 ただ皮肉なことに、ミャンマーの人々が見せた揺るぎない期待が国軍をクーデターに駆り立てたという見方もできます。仮に下馬評通りにNLDが票を減らし、乱立する少数民族政党に議席が分散すれば、多極均衡の中で国軍は影響力の維持を図れたかもしれないからです。クーデター後、国軍は前回選挙で大規模な不正があったと改めて主張。スー・チー氏を拘束したうえで、再度選挙を実施する考えを示しました。これもまた、スー・チー氏とNLDという自らの存在を脅かす巨大な「敵」を排除さえすれば政治をうまくコントロールできるという算段があるからでしょう。
 ただ現状で国軍のもくろみは「絵にかいた餅」となっています。ロイターは2月22日、「東南アジア諸国連合(ASEAN)の大国、インドネシアが事態の打開に動いており、ミャンマー国軍による選挙を支援する考えがある」と報じました。これに対してミャンマーでは反発が起こり、ヤンゴンにあるインドネシア大使館前では抗議運動が発生。インドネシア外務省は報道について否定することを迫られました。予定されていたインドネシア外相のミャンマー訪問も中止になっています。
 このままでは国軍主導の選挙が実施されたとしても、国民がその結果を受け入れるとは思えません。その前に国軍は「前回選挙でクーデターを正当化できるほどの大規模な不正があった」という主張の証拠や根拠を示し、国民の理解を得る必要があるでしょう。クーデターが発生して1カ月がたちますが、国軍への反発が収まる様子はありません。根強く続く抗議運動の背景に、人々が「民主主義の時代」に対して抱いていた期待の重さを感じずにはいられません。
(バンコク支局長 飯山辰之介)