『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』という奇妙なタイトルの本が日本で発売されたのは2011年12月。グレイトフル・デッドというバンドは、アメリカではビートルズやストーンズに匹敵するような人気があるものの、一度も来日したことがないため日本ではそれほど知名度がありませんでした。そんなバンドから、今の時代でも役に立つマーケティングの考え方を学ぼうという翻訳書が、増刷を重ねてなんと現在8刷というロングセラーになっています。
この本を執筆したブライアン・ハリガンさん、デイヴィッド・ミーアマン・スコットさんが来日し、監修・解説を担当したほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんと再会しました。3人が以前会ったのは、6年前のアメリカ・ボストン。それから、3人に何があったのでしょうか。鼎談第1回です。
デイヴィッド・ミーアマン・スコット(以下、デイヴィッド):糸井さん、お久しぶりです。
糸井重里(以下、糸井):えっ、デイヴィッドさんってこんなに細かったっけ?
デイヴィッド:あれから、「計るだけダイエット」で痩せたんですよ(笑)。
糸井:あー、びっくりしました。前回会ったときから何が変わりましたか? というところから話を始めようと思っていたのですが、デイヴィッドさんが縦長の人になったというのが、1つ大きな変化ですね(笑)。以前はもっと、格闘家みたいな体型でした。
糸井重里(いとい・しげさと)
1948年生まれ。コピーライター。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。広告、作詞、ゲーム製作など多彩な分野で活躍。1998年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設し同サイトの活動に全力を注ぐ。2016年6月には犬や猫と人が親しくなるアプリ「ドコノコ」をリリースした。(撮影=鈴木愛子、以下同)
デイヴィッド:私はマーケティングの専門家として講演をよくします。太っていた頃は、立ちっぱなしで話していると1時間ほどで疲れてしまっていました。そんななかミック・ジャガーのコンサートに行って、衝撃を受けたんです。彼は70歳を超えているのに、ステージを縦横無尽に走り回っている。それを見て自分ももう少し、体調を整えて適正な体になりたい、と思ってダイエットを始めました。今は講演中に、ミック・ジャガーばりに走ったり飛び上がったりしています。
糸井:聴衆はデイヴィッドさんにそれを望んでいたのかな(笑)。でも、よかったですね。
ブライアン・ハリガン(以下、ブライアン):「ほぼ日」のオフィス、初めて訪問しました。すばらしいですね。いい匂いがします。
糸井:キッチンで何かつくっているからごはんの匂いかな?
ブライアン:木の匂いもします。入ってすぐのところにある螺旋階段もすばらしい。
「今日のダーリン」はなぜ1日で消える?
糸井:今年のはじめに引っ越したんです。ブライアンさんがCEOを務めるHubSpot(ハブスポット)のボストン本社オフィスも、古い木を使っていましたよね。
ブライアン:糸井さんがボストンのオフィスに来られてから、何年経ちましたっけ?
糸井:6年です。
ブライアン:2010年の年末でしたね。そのときのHubSpotの社員数は300人でした。今は全世界に1500人の社員がいます。私たちのサービスを導入している企業は1万8000社にのぼり、95カ国以上に広がっています。支社は5カ国にあるんです。
デイヴィッド・ミーアマン・スコット(David Meerman Scott)
マーケティング・ストラテジストでありプロの講演者である。16才のときに初めて日本を訪問し、京都府宇治で1カ月過ごす。10年後に再び来日し、ウォール街の経済コンサルティング会社ライトソン・アソシエイツの東京支社を創立する。『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』以外の主な著書に、『リアルタイム・マーケティング』『月をマーケティングする』などがある。
糸井:HubSpotがすごく大きくなっているという話は聞いていました。ところでデイヴィッドさんの今の講演のテーマはなんですか?
デイヴィッド:マーケティングとセールスです。HubSpotがやっているような、こっちから営業に行くのではなく、お客さんの方からやってくる「インバウンド・マーケティング」ですね。今注目しているのは「リアルタイム」、つまり即座に反応がくるマーケティングに興味があります。「ほぼ日」のサイトに載っている糸井さんの「今日のダーリン」は、毎日更新され、翌日には消えていきますよね。これは、「今」に人々を注目させる、すばらしい方法だと思います。こうしたことを他にやっている人を知りません。
糸井:6年前も、「今日のダーリン」について聞かれたのを覚えています。あの時とは違う意味で、“just now”に興味があるから、もう一度おっしゃっているんですね。当時は「なぜアーカイブを残さないのか」と聞かれて、「ぼくがそうしたかったから」と答えたのですが、言われてみればデイヴィッドさんが解説してくださったとおりの意味があるんだと思います。
デイヴィッド:100人のマーケティング担当者がいても、そのうち99人は、次の1週間や1ヶ月後のことを考えています。100人のうち1人ぐらいだけが「今」に集中して、即時性のあるマーケティングをやっている。何がその人にそうさせているのかを学ぶことによって、他の人も真似できるようになる。だから、なぜ糸井さんが「今」を大事にできているのか興味があるんです。
糸井:最近のミュージシャンが収益の中心をCDからライブに移し始めているのも、1回だけの「今」を仕事にしているわけですよね。そうやって1回1回を積み重ねている。一方で「今日のダーリン」は毎日消えていくけれど、見た人がコピーをとっておいたら消えないんです。受け手が大事だと感じたものを残していく仕組みになっているんだと思います。
「今」に価値があることに気づくマーケッターは1%
デイヴィッド:グレイトフル・デッドもそうですね。彼らのライブは即興演奏も多く、奏でた瞬間に消えていくけれど、録音を自由にやらせていた。そのテープはいまだに残っていて、30年前、40年前の音源も聴き継がれている。現在のサービスだと、Snapchatがそれに近いコンセプトかな。10代、20代に人気のSnapchatというチャットアプリは、投稿した写真や動画が一定時間たつと消えます。ログが残らない。でもそれがすごく人気なんですよね。
糸井:若い人はそういうサービスを使いこなしているんでしょうね。ぼくが6年前にHubSpotへ行って一番おもしろいと思ったのは、ブライアンさんが「自分はインターネット・ネイティブではない」という自覚を持ちながら、インターネットとともに育った若い世代が自由に力を発揮できる職場をつくろうとしていたことです。そこにかけるコスト、努力が並大抵のものではなかった。その方向性が正しかったからこそ、今1500人もの社員が、そしておそらく質の高い人が入ってきているんじゃないかと思うんです。
ブライアン・ハリガン(Brian Halligan)
ハブスポット(HubSpot)の共同創業者でCEO。2014年にニューヨーク証券取引所に上場。1922年にアメリカのソフトウェア会社PTCの日本支社を創立するために来日し、大きく成長させた。在日中は東京の等々力に住む。『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』以外の著書に『インバウンド・マーケティング』(すばる舎)がある。
デイヴィッド:それが成功して、HubSpotの社員は自分の働く会社は最高だ、と思っているんです。それは、社員が匿名で企業を評価できるGlassdoorという口コミサイトを見ればわかります。このサイトには、CEOの評価や会社の雰囲気、給料のことなどが赤裸々に書かれている。そこでもHubSpotは高く評価されています。
ブライアン:多くの会社はユニークな製品をつくり、それで競合に勝って顧客を集めようとしている。でも、そもそもその製品をつくるのは社員なんです。だからまずは、ユニークな製品をつくれる人を魅了するカルチャー、良い社員が育つカルチャーを醸成することに力を入れるべき。でも、そうしている会社はあまりないですね。
糸井:企業文化をつくるには、お金も労力も、意識的に投下しないといけません。しかも、続けていかないと意味がないですよね。
ブライアン:じつは、会社をつくってから2年くらいは、「企業文化」という言葉を聞くたびに「うわー、やめてくれ」と思っていたんですよ(笑)。企業文化ってなんなのかよくわからなかったし、精神論みたいでちょっと敬遠していたんです。でも2つのことから、考えを改めました。1つ目は、社員に「自分の友だちにどのくらいHubSpotで働くことを勧めますか?」「その理由はなんですか?」と質問したことです。驚いたことに、みんなHubSpotで働くことを勧めると答えたし、理由で一番多かったのが「企業文化が好きだから」だった。CEO自身は「企業文化とかやめてくれ」と思っていたのに(笑)。
糸井:(笑)。
CEOがいないときに他の人が決断できるかどうか
ブライアン:もう1つは、ボストンでさまざまな企業のCEOが集まる会議があり、そのときのテーマが「企業文化」だったんですよ。また私は「やめてくれ……」と思っていました。でもそこで、私が惚れ込んでいる、掃除ロボット「ルンバ」で有名なアイロボット社CEOのコリン・アングルが、「企業文化というのは、CEOのあなたがそこにいない時に他の人が決断できるということなんだ」と言ったんです。そこで私は企業文化というものの存在意義が腑に落ちました。そして、「カルチャーコード」、つまり企業文化の条文をつくることにしたんです。
糸井:企業文化の条文。
ブライアン:お手本にしたのが、アメリカの独立宣言や合衆国憲法でした。トーマス・ジェファーソンやジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリンなどの建国の父たちがつくったものです。
糸井:ああ、なるほど。それなんとなく、わかります。
ブライアン:独立宣言が採択された1763年当時、建国の父たちが目指していたのは、いろいろなバックグラウンドを持つ人たちを完璧に団結させるということでした。そして、私たちが目指しているところも同じです。
インターネットの時代になり、顧客と社員、それから社員と会社の関係が変わりました。そして、今も変わり続けています。そういうことを念頭に置いて、カルチャーコードをつくったんです。憲法のように条項の改定はありえます。その改定案は、みんなで話し合ってつくればいい。でも、大本になる憲法はそう簡単に変えません。このカルチャーコードは、四半期に一度見直しています。そうした部分にかける全社的な努力の量は大きいと思います。そしてカルチャーコードは一般公開していて、これまでに200万回ダウンロードされているんですよ。
糸井:アメリカという国の成り立ちと相似形になっているのですね。利害を異にするさまざまな人種が集まってできた国でしょう。アメリカ以外の国の人達は、あの実験的な国家がどうなるのか、応援する気持ちと大丈夫かなという心配な気持ちの両方をもって注目していたと思うんです。だから、アメリカはある種の演劇空間のように、見られているという緊張感を持って、がんばらなきゃと思っていたから伸びていったんじゃないでしょうか。HubSpotも、そうやって外から見られながら、実験的なことをやって成功してきたわけですよね。
ブライアン:そうかもしれません。でも、アメリカはイギリスに対して謀反を起こすようなかたちで独立をしたわけですよね。ですから、HubSpotより建国の父たちのほうが……。
糸井:大変だったでしょうね(笑)。
ブライアン:HubSpotはもっと楽しいですから(笑)。
糸井:独立宣言が読み上げられたのも、HubSpotが生まれたのもボストンだ、というところがおもしろい偶然です。頭のなかにたとえ話があって、それをモデルにして物事を進めていくのは多くの人がやっていることですが、まさかアメリカの歴史がそのままHubSpotの歴史だとは思わなかった。
ブライアン:Sure!(大きくうなずく)
糸井:グレイトフル・デッドも、1つのお手本だったわけですよね。ユニークなやりかたでうまくいっているバンドがいる、だったらあれやってみたらいいじゃない、という方法をまとめたのが『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』です。だから、HubSpotは冒険をしているように見えるけれど、成功例があることをやっているとも言えるわけですね。
ブライアン:成功例を組み合わせて、人々が思いつかないことをやる。それがイノベーションですよね。スティーブ・ジョブズがまさにそういう人でした。インドの文化、日本の禅、ペプシ・コーラ、テクノロジー……そうしたものすべてにインスピレーションを得て、iPhoneを生み出した。それと似たような感じです。彼はすごく日本の影響を受けていますよね。
糸井:おふた方には、かつて日本で働いていたという共通点があります。自分たちと日本との関わりを、今も感じることはありますか?
デイヴィッド:(この日、通訳を担当していた隣にいる妻・渡辺由佳里さんの肩に手を置いて)これかな。日常的に、すばらしい日本のプロダクトだと感じています(笑)。
私が日本に来たのは26歳のとき。ウォールストリートの会社で働いていたところ、東京オフィスを開設するというチャンスがやってきたので、そのために1人で日本にやってきました。
東京には、自分が知らなかった大きな世界がある。Oh my God! と思いました。これまでにはない大きなことができるんじゃないか、という可能性に気づきました。また、日本で気づいたことがもう1つあります。それは仕事だけでなく、自分の人生についても自分の手でデザインしていくことが大切なんだということ。妻との出会いも含めて、僕の人生にとって日本は大切な存在です。
「小錦」ではなく「寺尾」になりたい
ブライアン:デイヴィッドはもう、ほぼ日本人なんですよ。普通アメリカで6時にディナーに招くと、たいていの人は6時半に来る。デイヴィッドは、6時1分前に来ますからね。日本人っぽいでしょう(笑)。
私は1993年頃に日本に住んでいました。当時インターネットはまだ普及しておらず、いつも日本のテレビ番組を観ていたんです。日本語がむずかしく、多くの番組は理解できませんでしたが、唯一わかったのが相撲中継。私が最初に観た取組は、「小錦」対「寺尾」でした。あまりの体格差に、私は寺尾がこてんぱんにやられると思ったんですよ。ちょっとその時の取り組みを再現しますね。
(前に出て相撲の取り組みの実演をする)
ブライアン:最終的には……Pushed the giant man!! 小柄な寺尾が勝ったんです!
糸井:まさか! と思ったわけですね。
ブライアン:ここから私はインスピレーションを受けました。寺尾のように小さなものが、小錦のような大きなものに勝つ。その手助けを、インターネットでやろうと。それが、HubSpotの原型です。
糸井:うまいこと言うなあ!(笑)
(次回へ続く)
構成:崎谷実穂
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