お話を聞いていると、若いころから自分自身を客観的に捉えていたようですね。

山田:だと思います。割と打算的というか(笑)。生存競争をいかに勝ち抜くかということは意識していましたね、今もそうですが。

 そんな現実的に考える僕ですが、進むべきビジネスの道をIT業界に決めたのは早かったですね。大学に入ってインターネットを初めて見たときに感動して、この世界だったらすごく面白いことができると感じました。

幸運が重なり、何とか生き残った

メルカリが手掛けるCtoCビジネスはインターネット黎明期から将来性を指摘されてきました。山田さん自身は、いつ頃からCtoCの事業を手掛けようと考えたのですか。

山田:僕は、大学時代にインターンとして楽天でオークション事業の立ち上げを経験しました。その頃からCtoCには魅力を感じていましたが、当時はまだガラケー全盛期。主にパソコンでやり取りする「ヤフーオークション(現ヤフオク!)」は支持されていたものの、手軽にユーザー同士がつながる本格的なCtoCの土壌は整っていませんでした。

 大学卒業後は、ウノウという会社を作ってフリーのエンジニアなどと組んで受託でウェブサービスを開発したり、2004年には米国に渡り知人と日本食料理店を開こうと準備をしたりしていました。米国に行きたいという思いは、漠然とありましたから。しかし、少人数しか相手にできない料理店よりも、やはりネットで多くの人を対象にしたいと考えて1年で帰国しました。

 とにかく世界を相手にできるサービスを作りたくて、写真共有サイトなど10以上のサービスを作りましたが、ほとんどうまくいかなかったですね。ただ、資金調達の環境がよかったり、作ったサービスを売却できたり、幸運が重なって何とか生き延びていました。

まさに綱渡り、という感じですか。

山田:そうですね。お金がなくなるというより、どうやってサービスをブレークさせるか、考えあぐねていたという感じです。状況が変わり始めたのが08年ごろ、ゲームを手掛けてからです。これまで、世界で成功した日本発の会社はどこかと考えると、昔だったらソニーやトヨタ自動車などのメーカーですが、最近ではやはり任天堂をはじめとするゲーム会社でしょう。ならば、「ゲーム×モバイル」でやれば、うまくいくのではないかと考えたのです。

それがなぜ、4年前にCtoCに打って出ようと思ったのですか。

山田:ウノウは10年に米国のゲーム会社であるジンガに売却しました。その後2年ほどでその会社を辞め、世界一周の旅をしていました。12年後半の話です。それで帰ってきたら、ごく普通の友人までスマートフォン(スマホ)を使うようになっていました。わずか半年の旅だったのに、完全に浦島太郎です。

 手のひらサイズのパソコンともいえるスマホを見た時、かつて将来性があると感じたCtoCへの思いがよみがえってきました。これで世界が変わる、スマホを使えばCtoCをもっと簡単により多くの人に使ってもらえると。

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