会社設立の資本金は道脇氏のポケットマネーの200万円。設立当初から、初期の最重要課題として「緩まないネジの規格化」を目指していた。
道脇:ある大学教授の勧めもあって「MITエンタープライズフォーラム(現MITベンチャーフォーラム)」というビジネスプランコンテストに応募することにしました。会社立ち上げの直前でしたので何の準備もしておらず、文字通りゼロからのスタートです。それでも、技術コンテストではなく「ビジネスプランコンテスト」なので、緩まないネジ「L/Rネジ」を事業化して行く構想をしっかりと伝えることができれば良いところまでいけるのではという目算と、ビジネスプランを改めて検討する良い機会だと思い挑むことにしました。
ペーパー審査を通過し10チームほどに絞られると、1チームにつき2~3人のメンターが配置されました。最終審査に向け、メンターと一緒にビジネスプランをブラッシュアップしていくという独特のスタイルで進行するのがこのコンテストの特長です。最終審査は会社を立ち上げた翌月。400人くらいの前で制限時間の10分間、緩まないネジのビジネスプランについてプレゼンテーションを行いました。
社名の「ネジロウ」に込められた意味
道脇:僕は当初から、この事業を進める上での初期の最重要課題がネジの規格化だと考えていました。もともと「ネジロウ」という社名も、新たなネジの法則体系、つまり「ネジ」と「Law」を組み合わせた単語です。緩まないネジの構造は、従来の螺旋構造のネジとは異なります。規格化をしなければユーザーも使いにくく、世の中に広く普及しないと思っていたからです。
緩まないネジ「L/Rネジ」の基本の仕組み。従来のねじは、メートルねじ規格として体系化され、呼び径(mm単位の呼びの直径)に合わせて「M16」のように表記されていた。いわば、「M規格」。道脇氏は、これになぞらえて緩まないネジ(L/Rネジ)の体系を「N規格」と名付け、新たな体系を構築しようと構想していた。(写真:ネジロウのHPより)
ビジネスプランコンテストでは、規格化の戦略について詳しく説明しました。事実上の標準である「デファクトスタンダード」の軸と、業界標準の「デジュールスタンダード」の軸という2軸を使ったグラフを作成し、時間軸を斜めに進行させるという独自の表現です。当時の構想では、2020年頃にL/Rネジの基本的な業界標準規格が出来上がる計画で、そのためには2016年辺りに社内規格ができていなければならないと考えていたのですが、先日L/Rネジの社内規格化を達成しています。当時描いていたスケジュール通りに進んでいると思います。
VCからの出資申し出を全て断る
道脇:結果、コンテストでは最優秀賞のほか、同時受賞可能な全ての賞を受賞することができました。ネジという地味で基礎的な商材でありながらも、非常にたくさんの方に評価していただくことができたのです。ただ一つ残念だったことは、毎年設定されていた優勝賞金がリーマンショックの影響もあり、この年はゼロだったということです。
とは言うものの、コンテスト後は複数のベンチャーキャピタル(VC)から出資したいと申し出をいただきました。実用化に向けた基礎的な研究開発のための資金は喉から手が出るほど、いえ、胃から手が出るほど必要だったのですが、これらの申し出は全て丁重にお断りしました。日本のVC資金と基礎研究とが相容れないと解釈していたことや、中立的カラーへの拘り、自主独立の精神が当時の心中にあったためです。外部資金を入れず、例え亀のようでも独立独歩で進んでいこうと考えていました。
道脇:コンテスト後、僕のメンターだった岩越さん(岩越万里氏)と、大村さん(大村泰三氏)がネジロウに合流してくださいました。岩越さんは当時、日曹エンジニアリングの取締役で、大村さんは三菱マテリアルの取締役、最高技術責任者などを歴任されていました(後に実兄である大村智さんがノーベル生理学・医学賞を受賞されます)。あるときは、ハートフルな叱咤激励で、またあるときは、寝ずに働く仲間達の健康を気遣ってくれたりと、たくさんの経験や知恵をシェアして下さいました。現在、岩越さんは監査役として、大村さんは最高技術顧問として今も変わらずネジロウを支援し続けてくださっています。
当時、お二方は本業の傍ら、朝6時から始まる週に1~3回ほどのMMM(丸の内モーニングミーティング)と名付けたミーティング等に参加してくれました。まだちゃんとしたオフィスもなかったので、会議はこうしていつもカフェか、カフェ代も勿体ないということで、駅中の待合室であったり、支援者の会社の空き会議室を使用していたりしました。
ゆるまなさ過ぎて、試験装置を破壊
道脇:2010年8月、僕のポケットマネーで上石神井のアパートの一室を借り、2号ラボとしました(1号目は自宅です)。ここを選んだのは地下室があったからです。振動試験ではどうしても騒音が発生してしまうので、地下室が必要でした。
ネジの緩み性能を試験している際に、面白いことがありました。米国航空宇宙規格(NAS)に則った振動試験機で17分間緩まずに耐えることができたら合格とされているものなのですが、17分たっても全く緩まなかったので、とりあえず当分放っておくことにしたんです。3時間ほど経った頃でしょうか。地下の試験室から漏れ聞こえる音が「ダダダダダッ」から「ガチャガチャ」という音に変わったんです。ついに緩んだかと思い試験室に飛び込んだところ、床にはネジが何本も散乱していました。なぜネジが増えているのかと思いよくよく見ると、そのネジは試験装置側のネジでした。つまり、試験装置の方が先に壊れてしまったんです。緩まないネジの実力を実感した瞬間でもありました。
上石神井のオフィスは会議用の机すらなかった。写真奥左が道脇氏。奥中央が大村氏、奥右が岩越氏。
資金難が続くなか、賞金稼ぎのためにたくさんの賞レースに応募。「ネジで大賞が取れるはずもない」と周囲に言われながらも、片っ端から賞を総なめにしていった。
道脇:緩まないネジの技術に自信はありましたが、世に広く普及させるには「お金」と「権威」がどうしても必要です。開発費はほぼポケットマネーでカバーしていましたが、自腹を切り続けるにも限界があります。そこで、賞金稼ぎのため、戦略的にたくさんの賞レースに応募することにしました。2011年は、2月に新技術開発財団の助成に採択され、8月に川崎起業家オーディションの大賞を受賞、10月には東京都ベンチャー技術大賞も受賞しました。同年11月には「GOOD DESIGN賞」の金賞を受賞したのですが、「ねじ」が受賞するのは1957年の賞創設から初めてだそうです。
2011年10月に東京都ベンチャー技術大賞を受賞。受賞スピーチでは「わかるまで考える。出来るまでやる」と目標達成の秘訣を述べたと言う。
2011年11月に「GOOD DESIGN賞」を受賞した。
問い合わせ殺到するも対応できず
道脇:賞を受賞しメディアの露出も増えてくると、徐々に「L/Rネジを欲しい」という連絡が増えてきました。産業機械用の設備など本当に限られたところにだけ試験設置していましたが、僕としては規格化できていないものを普及させたくないという思いが強くあり、ほとんどの申し出を断っていました。どこから聞きつけたのか、海外の企業からも連絡がありました。ドイツの鉄鋼メーカーから「テスト用に10万本欲しい」と言われた時は驚きました。この時はまだ、テストピースを日に数本しか造ることができなかったので、10万本など到底達成できない数字です。丁重にお断りしたら「それなら1万本でも」と食い下がられ、それも無理ですと断りました。最終的には「10本でも1本でもいい」と言っていただきましたが、まだ規格もできていない状況でお出しすることはできないと考え、丁寧に伝えてご理解いただきました。この頃は対応したいけれど作れない歯がゆさを感じ続けていましたね。
新技術開発財団の助成に採択されたことで、規格化に向けた開発が加速する。しかし、あまりにも特殊な構造のネジ山であるがために、加工のための設備も一から開発しなくてはならなかった。
道脇:切削加工するための刃物から始まり、その刃物の刃を削るための砥石まで、どのような設計にしなくてはならないか考える必要がありました。完成しても、刃物は狙ったとおり出来ているか、テストピースはどうかなど、細かく精密測定しなくてはなりません。さらに、こうして出来たテストピースはどれくらいの強度があるのかも試験してみないといけない。試験するには試験装置が必要で、それには試験装置もジグも無い。そう思って一から開発しようとすると、本当に時間がかかってしまうのです。
これらをいちいち全て外注していたら、お金も時間も幾らあっても足りませんし、外注していたら経験もノウハウも蓄積出来ません。一般的な物を作ろうとしているなら外注の方が安く、速いでしょうが、僕らが作ろうとしていたのは今までに全く無いモノです。安易に外注することも出来ないうえ、引き受けてくれるところも引き受けられるところも無いのです。何も無いところから何かを生み出すということは、こういうことなのですね。このように多くの困難を乗り越え、小型~中型のL/Rネジにおける規格化を図って行きました。
こうやって振り返ると、2011年は僕らにとっては大きな1年でした。いくつも賞を頂いたと同時に、3月に発生した東日本大震災で橋梁や建物などの多くの建造物が被災し破壊されているのを目の当たりにし、緩まないネジの重要性を改めて再認識したのでした。
当時、本社をおいていた東京都立産業技術センターの試験場を借り、トルクの軸力を図る試験を実施。すると、ネジが試験装置から外せなくなってしまった。センターのスタッフ立会いのもと、電動サンダーで削り取ろうとしたところ、試験装置が壊れるとのことで手鋸で切ることに。一日がかりで取り外したものの、その後試験場からは出禁に。
道脇:2012年、経産省の戦略的基礎技術高度化支援事業(サポイン)に採択され、量産技術の開発に着手します。しかし、量産技術開発には大きな設備が必要となるのですが、僕らにはその設備を置く場所がありませんでした。ちょうどその頃、付き合いのあった金属製品加工会社が第二工場を建設するということで、川越市に工場を建て始めたところでした。早速、その会社の工場を一部間借りさせていただけることになり、第4号ラボとしました。
こうして、僕らはL/Rネジの大量生産に必要な技術を片っ端から開発していきました。難題が現れる度に、発明に次ぐ発明をし、また寝食を忘れた研究に継ぐ研究を重ね続け、規格化と同時に量産化を推し進めて行きました。
しかし慢性的な資金不足が続いており、助成金や賞金、そして道脇氏のポケットマネーで会社を回していくのも厳しくなる。そんななか、初めて増資を決意する。
道脇:新しいことを始めるのに最も大事なことは、やり遂げようとする意思です。これがあれば、多くの困難を乗り越えられるからです。しかし、お金も重要ですね。カネ無し、学歴無し、緩み無しとは言っておりましたが、アイデアがあって、やりきる根性も情熱もあるのにお金が無いというのは何とも歯がゆいものです。
そんな中で、増資を考えはじめます。国内外の色々なVCや事業会社から多数の声はかかっていましたが、全て丁寧に断ってきていました。第三者割当増資をすると会社の「色」が変わってくるわけですが、色をつけるならまずは、「日本の色」をつけたいという思いがずっとありました。やはり日本という立地で生まれていますし、ネジは産業の根幹となる要素技術です。ものづくり日本の発展的承継という意味でも、日本の色に拘りました。
結果、2014年7月に産業革新機構と三菱UFJキャピタルから3.5億円の第三者割当増資を実施し、引き受けて頂くことになりました。一般的なVCの投資回収スパンは3〜5年程度ですが、僕はネジロウの事業は100年事業であり相容れない部分もでてくると懸念していたんです。産業革新機構の担当者はこの点を理解してくださり、「こういう国家的な事業となり得る投資こそ、我々がすべきこと」と言ってくださいました。
ようやくネジの規格化に成功
2014年に日経産業新聞の1面に緩まないネジについて取り上げられると、全国から問い合わせが殺到しました。その中の一社が井上特殊鋼さんです。先日大型L/Rネジの規格化を達成しましたが、ここに至るまでの開発支援をしてくださいました。(詳細は連載1回目を参照)
2015年5月にはさいたま技術研究所を開所しました。研究所の立ち上げや第三者割当増資、井上特殊鋼さんの支援などを背景に、開発速度は約50倍にも上がりました。これにより、外部協力に頼り切っていたテストピースや治具の製作を、全て自前で用意することにも成功しました。社外でしかできなかった各種試験も社内で出来るようになったのです。
そして先日発表したばかりですが、2年かけてようやく大型L/Rネジまでを取り込んだ呼び径N1~N100までのL/Rネジの規格化を達成しました。これからテストマーケティングを経つつ、いよいよ本格的に外に販売を始めて行く計画です。
次なる挑戦はネジのIoT化
実はすでに次に向けた動きも始まっています。
それは、緩まないネジの「Internet of Things(モノのインターネット化)」を目指す事業です。ネジが緩まないので、橋梁や鉄道などのインフラに使用すれば、正確なデータを恒久的に取り続けることができます。振動や応力データなどを元に次の点検時期が分かったり、故障や不具合、交換すべき部品や部位が判明したり、リアルタイムの渋滞状況がわかったりと、活用方法は無数にあります。
実はネジのネット化も20年ほど前、つまり大事故によってL/Rネジのアイデアを発明したすぐ後に同様の構想を抱いていました。様々な環境が整ったことでようやくその時代が到来したと認識し、数年前から実現に向けて動き始めています。
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