現代社会では、「知らないこと」は死を招くことさえあります。例えば、最近ではほとんど無くなりましたが、ある種の洗剤と別種の洗剤を混ぜると有毒ガスが発生することがあります。そのことを知らず「混ぜると汚れがよく落ちるから」と混合してしまい、死に至ってしまった悲しい事故もありました。ちょっとした科学の知識があれば避けられたかもしれない危険が現代の日常生活には無数に潜んでいるんです。

 こうした危険から自分と他人の身を守り、より豊かな人生を歩むことが出来るよう必要最少限の共通項目で構成されたモノ、それが教育カリキュラムだったのです。

 普通教育が義務ではなかったころ、多くの子供は学びたくても学べませんでした。生活そのものが厳しく、家族総出で働かなければ生きていけない家計が多かったからです。普通教育の義務化は、生活が苦しい中でも子供たちに未来を託そうと願う、多くの家庭の「痛みを伴う決断」によって成立していたんだと理解しました。

 正規の教育から離れ、独立独歩してきた僕は、こうして学ぶことと教育の意味を同時に知ったのでした。

 「バカ克服プログラム」のマイルストーンとして、大学受験資格検定(大検)の取得を試みる。しかし、気付けば受験日まで3ヶ月。猛勉強の日々が始まる。

道脇:まず、小学校6年間と中学校3年間の内容から復習し始めました。計9年間の勉強はとりあえず1週間で終わらせ、残りの期間を大検に必要な11科目の習得に費やしました。

 理論的に答えの出る数学と物理にはほとんど時間をかけず、蓄積がものを言う国語と英語に時間をかけることにしました。まず、英語は5000単語とその用法を合理的に取得することにし、それぞれの単語の入ったセンテンス5000文を1週間で丸々記憶しました。古文や漢文、日本史、世界史、それに化学などもとにかく記憶していったのですが、このとき、記憶と睡眠の関係を発見し効率的な学習法を生み出してそれに基づいて学習していきました。36時間ぶっ通しで勉強していたこともあります。3ヶ月間の徹底した独学自習期間を経て、大検は全科目合格することが出来ました。

 でも僕にとって大検はバカ克服プログラムのマイルストーンであり、大検を取ったからといって大学に通いたいという気持ちはあまり起こりませんでした。もし行くなら海外の大学かなって、このときは軽い漠然とした気持ちで考えていました。海外の経験はないし全く知らない世界なので、海外だけに限り「学校」に対して肯定的な印象を持っていたのです。

緩まないネジを思いついたキッカケ

 19歳の1年間は、次々と難時に見舞われる。車の大事故を経験して、今のL/Rネジの原型である「緩まないネジ」の構想を思いつく。

道脇:1996年、この年は僕にとって大きな転換点でした。自動車事故に3回もあったんです。一つ目が、走行中にタイヤが外れる事故。2つ目が運転中にハンドルが外れる事故。両方とも嘘のようなホントのはなしです。ルパン三世みたいですよね。そして3つ目が高速道路の事故で、この時は車が大破してしまいました。奇跡的に3回とも全て誰も巻き込むことのない事故でしたし、僕自身もケガひとつしなかったんです。

 そしてこの事故の教訓から、僕は「緩まないネジ」を考え出しました。当初から、螺旋構造ではない特殊なネジ山を形成することで、絶対に緩まない構造を造り出せると頭の中で確信を持っていました。緩むことのないネジがこの世に存在すれば、今回みたいな事故は一切起きない。それどころか、世界のありとあらゆる場所に存在するねじそのものの概念も大きく変わると信じていました。

 しかし、この頃の僕はすぐに特許を出願しようだとか、事業化しようとかは思っていませんでした。日々頭の中から湧き出してくる数多くある発明、考案と同じく、頭の中にとりあえずしまっておくアイデアの一つに過ぎなかったのです。

 さて、先ほど、「もし行くなら海外の大学かなと思っていた」と言いましたが、実は大事故があった翌年、20歳の時に、奇跡的に米コロラド州の大学に留学することになるんです。これには驚きの経緯があります。そして、学校嫌いの僕が一体どのくらい米国の大学に通ったと思いますか?

(第4回に続く)