鳥井信治郎は無二の親友を作らなかった

鳥井:興味津々で聞くんですが、今回、鳥井信治郎について取材をされて、悪い話は出てこなかったんですか。

伊集院:企業だったら、必ず負の部分はあるものです。鳥井信治郎を小説に書くに当たって、当然、負の部分を調べました。どんな人物でも、よくよく調べてみると、当然、批判を受ける部分はあるものです。ところが、信治郎は少なかった。珍しいぐらい少ない。

 それはなぜかと考えてみたんです。いい話の方が出やすいということはあるけれども、悪い話だって出やすいんですよね。だけれども、信治郎の悪い話が本当に少ないのは、信治郎が人を裏切ってない、非情なことをしてないということなのだろうと。

 裏を返せば、信治郎は、誰に対しても、必要以上に仲良くならない、親友とかを作らなかったんですな。だから、裏切ることもない。これは非常に面白いと思っています。普通は無二の親友とかいるものなんですけれども、それを一切持たなかった。

 松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助さんとの信頼関係は有名ですが、それも親友という関係とはちょっと違ったようです。大阪の夜の商工会議所とも言われた大和屋というお茶屋があったのですが、幸之助は決まって、信治郎と会うときは待ち合わせの1時間前には、もう座っていたそうです。1回も遅れることはなく。通常、幸之助は他の人と会うときは5分前に到着していたようなんですが、信治郎のときは1時間前だったと。

 松下の社史にも出てないけれども、おそらく、信治郎は幸之助に相当な支援をしていたんでしょう。それがないと、おそらく、松下は立ち上がらなかったのではないかなとも思います。幸之助はある日突然、ざーっと資材を買い入れて事業にまい進していくんですが、その資金はどこから出たのか。たぶんそれは、鳥井信治郎が支援したからできたのだろうと。そうでなければ、1時間も前にずっと待ってない。信治郎の銅像を立てたとき、幸之助は相当具合が悪かったにも関わらず、駆けつけてスピーチまでしている。

<b>伊集院静・作家</b><br />1950年生まれ。CMディレクターなどを経て1981年『皐月』で作家デビュー。91年『乳房』で吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で直木賞、94年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で吉川英治文学賞受賞(写真:的野弘路)
伊集院静・作家
1950年生まれ。CMディレクターなどを経て1981年『皐月』で作家デビュー。91年『乳房』で吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で直木賞、94年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で吉川英治文学賞受賞(写真:的野弘路)

鳥井:無二の親友がいなかったとは、面白いですね。

伊集院:表立ってのね。いわゆる、よくある企業同士で仲がいいとか、そういうのがないんですよ。これはでも、私はすごく大事な要素だと思っているんです。いつも、やっぱり孤独な場所、孤独な形をつくっておくことが、事業を成し遂げる上では重要でなないかと。どこかに肩入れしすぎると、どこかに甘さが出るでしょうな。

 それと、今日、副社長にお会いするのを楽しみにしていたのは、やっとこれで(信治郎氏の長男・吉太郎氏の系譜である)本流に会えるというのがあってね(笑)。

 信治郎さんの中には、長男の吉太郎さんが若くして亡くなられたこともあって、やっぱり本流を大事にしたいという意識はすごくあった。鳥井家と佐治家が交互に社長になってきたわけですが、それは、お葬式の席順なんかに表れていたんです。鳥井信一郎(吉太郎氏の息子で信宏副社長の父、3代目社長)さんが一番前ですから。

 だけど、ご家族自体というか、鳥井家も佐治家も質素だね。それが非常に感心したことですよ。つまらない見栄を持とうとしない。

鳥井:まあ、質素というか、そんなきれいな言葉を使っていただくと恐縮するのですが、ようするに、ケチなんですよ(笑)。まあ、ケチは大事な話ですが。

伊集院:ケチは大事ですからね。私は、質素であるという点を、取材を通じてすべてのことで感じました。いわゆる、きらびやかにしないということをね。信治郎は好奇心が強いから、ピアス号と名付けられた高価な自転車を真っ先に買うようなことはあったんだけれども。

鳥井:私は(サントリーHD会長の佐治)信忠さんから、「お前はカネを使わなさすぎる」とよく怒られています(笑)。「お前はとにかく、カネをケチって利益を出そうとするからあかん」としょっちゅう言われています。

伊集院:吉太郎さんが車を欲しいと言ったときも、信治郎は買っていませんからね。「あかん、何のために車がいるんや」と。

鳥井:そういう話は、私も聞いています。

伊集院:そういう意味では、鳥井家も佐治家も何かこう、必要以上の豪奢、華奢なものを子供には与えぬという、そういう教育をしてきたような気がするんです。だいたい、一代で大きくなったような会社は、もう豪華絢爛に子供がカネを使いまくるという話も珍しくない。そういう企業は、だいたい長続きしないからね。

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