堤清二と対談したかった
原田:私は今、『芸術新潮』(新潮社)で「美のパイオニアに会いに行く」という対談連載をしています。クリエイティブ・ディレクターの小池一子さんなど、私よりも年長の方で、アーティストは除いて、何らかの形でアートや文化にかかわってこられた方々をゲストに招いての対談です。
アーティストの周辺、あるいはそれに対してすごく努力してきた人たちへのインタビューで、もう4年近く続いています。
この連載を始めたきっかけとして、実は堤清二さんにお会いしたかったという思いがあったんです。この対談が始まったのは、堤清二さんが亡くなった翌年のことでした。
なぜ、堤清二さんに会わずに過ごしてしまったんだろうと思います。本当にお会いしたい人でした。ですから、せきを切ったように、「会っておかなきゃいけない」と思う人に、お目にかかって、お話を聞いているのです。
私はキューレターとしての人生をまっとうできなかったけれど、縁があって小説家になった。ですから、ものを書くという立場で、私がなぜ書き続けているのかをいつも自分に問いかけています。
原田さんは、何のために小説を書くのでしょうか。
原田:私は最近、アートだとか、アーティスト、美術館のことをテーマにして小説を書くことが多いです。
アートはちょっと敷居が高いと感じていらっしゃる方もいるかもしれないけれど、小説だったら読んでみようかと思う方もいるかもしれません。そんな人が私の小説を読んで、「現実の世界にもこんな美術館があるんだ」と気付き、アートや美術館に興味を持って、実際に足を向けていただくのが、私がアート小説を書き続ける大切な目的でもあるんです。
それと同時に芸術、文化の世界で、こつこつとパイオニアのようにいろいろな立場から努力されてきた方々のお話を、できるだけたくさん聞いて、それを福音書の記者のように記録にとどめていく。
それは小説という形になったり、対談という形になったり、あるいはエッセーのような形になるかもしれません。ただ、何らかの形でとにかく後の世に残していきたいとすごく思っています。
だからこそ、なんで堤清二さんに会わなかったんだろうと改めて思います。間に合わなかったという事実に、もう取り返しがつかないという後悔の念とさびしさを感じます。
実は知人から先日、「林真理子先生が、マハさんのことをインタビューで話しているよ」と教えてくれて、この連載の存在を知りました(詳細は「堤清二の辛辣な言葉が作家・林真理子を生んだ」)。
この記事は胸に響きました。小池一子さんを通じて私がセゾン文化を引き継いでいる。そういう意味では私は堤清二さんの孫弟子のようなものかもしれない。そう林さんに言っていただいたのが、本当にすごくうれしくて。
私はセゾンの申し子だと誇りを持って言える。「堤清二の孫弟子です」って、胸を張ってそう言いたいですね。
Powered by リゾーム?