無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家--。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。
日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。
本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、それぞれの業界に関わる人々に語ってもらう。
連載15回目に登場するのは、作家の原田マハ氏。セゾングループ傘下の西武美術館(のちのセゾン現代美術館)は、いち早く現代アートの展覧会を開催。日本に現代アートが根づく素地をつくった。そして現在、アートの世界で活躍する人にも大きな影響を与えている。かつてMoMA(ニューヨーク近代美術館)に勤務し、現在はアートに関連する著作を数多く世に送り出す作家・原田マハ氏もその一人だ。セゾングループの取り組みが原田氏に与えた影響や、堤清二氏が日本に遺したものについて話を聞いた。(今回はその前編)。

原田さんはかつて、西武百貨店池袋本店の最上階にあった西武美術館に通っていたのでしょうか。
原田氏(以下、原田):実は私が生まれて初めて美術館のメンバーシップになったのは、西武美術館でした。
大学生の時、実家が岡山から東京に引っ越して、両親は練馬に住んでいました。私は関西の大学に行っていたので、夏休みに帰った時に西武美術館に通っていました。
(西武美術館があった)池袋駅をよく使っていましたし、もともと美術やアート、美術館が好きな学生だったので、最初から興味を持っていたんです。当時から、すごい美術館があると思っていましたね。
展示があまりにも面白くて、その都度チケットを買うとお金がかかる。ですから、夏休みに稼いだアルバイト代を使って西武美術館の会員になったんです。当時、私はそんなに裕福な学生ではなかったんですけど。
当時、池袋に「文芸坐」という名画座がありました。そこで私はもぎりのアルバイトをしていたんです。『キネマの神様』という小説も書いたくらい、映画も好きだったので。
アルバイトで映画をタダで見て、その行き帰りに美術館に寄って。無印良品のコピー、「わけあって、安い」ではないけれど、本当にわけあってセゾン美術館の会員になった、という感じでした。
西武美術館のどんな点にひきつけられたのでしょうか。
原田:やはり展示の内容です。私はもともと美術館に行くのが好きな子供だったので、普通の美術館だけでなくて、いろいろなデパート美術館にも結構行っていました。
ほかと比べると、西武美術館の企画はすごく独特で、いわゆる泰西名画ではないものの展覧会も開いていました。「こんな画家がいたんだ!」と思うような、見たことも聞いたこともないアーティストを発掘してきたりして。
モダンアートだけでなく、現代アートも果敢に見せていました。それも西武美術館だけではなくて、セゾングループは「アートフォーラム」という、美術館ではなくて、いわゆるオルタナティブスペースでも、コンテンポラリーアートやテーマ性の高い展示を見せていました。
例えば今では日本でもファンの多いメキシコのアーティスト、フリーダ・カーロの展覧会を、小池一子さんがキュレーションをして、アートフォーラムで開催していました。そこで私は、初めてフリーダ・カーロの作品を見たんです。
セゾングループはとにかくアンテナを張って、ぱっと(最先端のカルチャーを)キャッチしていました。デパートの美術館は普通、そこで人を集めて各フロアにお客さんを流していくという、シャワー効果を狙います。だから大体、美術館は上のフロアにあります。
たくさんのお客さんを集めなければいけませんから、本当は現代アートをやってもあまり意味がないんです。現代アートの美術展を開いても、あまり多くのお客さんを呼べず、シャワー効果は期待できませんから。通常、デパートの美術展は、大体メディアとの共催で、それなりに名前の知れた芸術家の作品を展示するのが一般的なパターンでした。
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