全6007文字

 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家--。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。

 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 連載第13回目に登場するのは、人類学者・思想家であり、明治大学の「野生の科学研究所」所長を務める中沢新一教授。セゾングループ傘下だった書店チェーンのリブロは、1980年代の「ニューアカデミズム」のブームをけん引した。「ニューアカ」の象徴として脚光を浴びた中沢新一氏に、当時の熱狂や堤清二氏、セゾングループについて聞いた。(今回はその後編)。

人類学者であり思想家の中沢新一氏(写真/竹井俊晴)

インタビューの前編(「知を『商品化』してニューアカブームは生まれた」)ではニューアカデミズムブームが誕生した背景を伺いました。ブームの中で、堤さんはどういった「知」を普及させたいと考えていたのでしょうか。

中沢氏(以下、中沢):堤さんの中には、いろいろな要素がありました。

 当時、お金持ちでいろいろな文化事業に手を出そうとしていた代表格は、サントリーの佐治(敬三)さんと、セゾングループの堤さんでした。

 佐治さんはよく講演で、「自分は日本におけるメディチ家になりたい」と言っていました。要するに文化事業を育てる大旦那のポジションになりたい、と。これはある意味で古典的な考え方でした。

 一方、堤さんはマルクス主義批評など、共産党をくぐっている人ですから、もっと違う考えを持っていました。

 大衆の生活が向上してくること。これを一番大事なこととして据える。

 それまでだったら、労働者が安い商品をたくさん手に入れられるように、安い商品をたくさん作っていくことが大切でした。

 けれど堤さんは、次の新しい資本主義の中に入っていましたから、商品形態もイノベートしないといけなかったし、労働者もこれからは生活形態が変わっていくんだという意識が強かったのだと思います。

 中産階級が分厚い層を形成し始めた時期ですから、この中産階級に向けた商品を生み出す必要がある。彼らの関心には知的な要素も含まれるはずです。ホンダのシビックやソニーのウォークマンといった、イノベイティブな商品を本気で求めはじめていました。

 音楽でも、知的な要素の強いプログレッシブロックが流行しました。同じ流れから生まれた音楽です。デヴィッド・ボウイはまさに新しい資本主義文化のアイドルでした。もう、ボブ・ディランじゃないよ、ということで(笑)。

 美術でも、ニューヨークの現代美術などがどっと入ってきました。ミニマリズムを主流としたダンスもはやりました。1970年代の舞踏や演劇はアングラでしたが、それが変容しはじめて、僕と同じ年代だと、野田秀樹さんや如月小春さんが日本的な新しい演劇形態を開拓しはじめた。アングラから離れてニューアカデミズムと言われる僕らと結びついていきました。

 堤さんは、そういうことをみんな理解していました。特に堤さんは、作家・安部公房の才能をものすごく評価していましたね。

当時の新しい文化のけん引役には、ほかにどんな人がいたのでしょう。

中沢:僕らはまだ若かったのですが、気づいてみれば井上ひさしさんなども、同じ方向を向いていたのです。

 もう1人、大事な人の存在を忘れてはいけません。文化人類学者の山口昌男という人です。僕の文化人類学の先生のような人でした。

 僕よりも1世代も2世代も上の人たちが、「文化の現在」という集団をやっていて、山口昌男はその中心でした。彼らはむしろサントリーの方が近かったのかもしれませんね。

 サントリーは当時、オペラを上演したり、展覧会を開いたり、サントリー学芸賞をつくったりして文化を後援していきました。一方で堤さんは、文化を商品と結びつけていきました。資本主義が変わっていく方向に、彼は大変期待を持っていました。僕らも同じことを考えていました。

当時の資本主義は、その前と比べてどのように変化していったのでしょうか。

中沢:資本主義のオルタナティブを実現する運動が終わりに向かっていました。ソ連や中国の現実をみんなが見るようになって、「このやり方ではダメなんだ」と思うようになったわけです。

 そうすると、唯一残っている可能性は、資本主義をさらに前に進めて変容させていくことにある。これが1980年代の共通思想でした。それは「革命」ではありません。

 資本主義を内部から自己変革すれば、社会主義よりも優れた資本主義の形態になっていくであろう、と考え出したのですね。オプティミスティックなところもあるけれど、堤さんが抱いたユートピアもそれだと思います。昔のユートピアには、堤さんはほとほと懲りていましたから。