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 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家--。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。

 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 連載第13回目に登場するのは、人類学者や思想家であり、明治大学「野生の科学研究所」の所長を務める中沢新一教授。セゾングループ傘下だった書店チェーンのリブロは、1980年代の「ニューアカデミズム」のブームをけん引した。「ニューアカ」の象徴として脚光を浴びた中沢新一氏に、当時の熱狂や堤清二氏、セゾングループについて聞いた。(今回はその前編)。

人類学者であり思想家の中沢新一氏(写真/竹井俊晴)

セゾングループの全盛期だった1980年代、「ニューアカデミズム」ブームが起こりました。ニューアカデミズムの旗手だった中沢先生は、当時の様子をどう捉えていましたか。

中沢氏(以下、中沢):当時の熱狂は、「知の普及」というよりも「知の商品化」と言った方が適切かもしれませんね。

 当初は日本で何が起ころうとしているのか全然分かりませんでした。僕は20代後半からネパールやインドでチベット人と一緒に暮らしていましたから。

 それまでのパルコに対しては、新しい消費文化が動きだした象徴だなとして認識していた程度です。とはいえ、渋谷パルコの内装デザインや商品のインスタレーションには大変関心を持っていて、よく出掛けては見てはいました。

 けれど、それは美的関心にすぎませんでした。

 当時は、資本主義がイデオロギーを乗り越えようとしていた時期でした。日本の消費文化が変わってきた一番の原因も、そこにありました。そういう事態に、学生は別のイデオロギーで抵抗しているように見えた。それが全共闘だと僕は見ていたんです。

 資本主義の力が増していたのではなく、資本主義の構造が変わってきた。

 フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールがとても先見的なことを書き始めていた時代です。その頃、日本では吉本隆明が同じようなことに関心を持って、「これまでのイデオロギー的な資本主義批判はもう根底から成り立たなくなるぞ」という予感に満ちていた。そんな時代です。

 渋谷パルコの空間構成や商品からはそのことがはっきり見えていました。資本主義は生活必需品を売る段階から、「夢」「希望」「美」といった付加物を前面に出す時代になっている。そんな印象を受けました。

 あの頃は(クリエイティブ・ディレクターの)小池一子さんや(グラフィックデザイナーの)田中一光さん、写真家の藤原新也さんなどの印象がとても強かった。とにかく格好いいんです。あまりにも格好いい。格好よすぎちゃって、むしろ恥ずかしいなと感じる部分もありました。

 「資本主義にはこの先もっとうまい着地点が見えてくるんじゃないかな」。当時、まだ大学院の学生だった僕はそんな風に思っていました。

 それで、日本に見切りをつけて、インドやネパールに勉強しに出かけました。

何がきっかけで日本に戻ってきたんですか。

中沢:現地では日本のことをすっかり忘れていました。完全にチベット人のようになって、チベットの服を着て、チベットのものを食べて、チベット語を話していましたから。

 だけど、1980年代の初めくらいかな。ダージリンという街へ行って、おいしいコーヒーを飲んでいたら、とってもおもしろい音楽が聞こえてきたんです。「これ、何?」とインド人のウエイターに聞いたら、「何を言っているんだ、お前の国の音楽だ」と。それがYMOでした。

 「あ、日本は変わり始めているんだな」と実感しました。

 当時は日本の音楽の海賊版が、インドでは結構出回っていたんですね。そこで日本に一度戻ってみようと帰ってきたんです。

 すると、日本では堤清二の世界が展開し始めていたわけです。