ロンドンで再会したMUJI

J-WAVEの開局後、大倉さんはセゾングループにどのように関わったのでしょうか。

大倉:J-WAVEが開局した半年後には異動になって、海外に赴任しました。アメリカとイギリスに計8年いて、日本からは離れていました。そのため、その間の日本の動向はほとんど分かりませんが、たまたま僕が赴任していたロンドンで、1991年に「MUJI」の海外1号店がオープンしました。

 僕は無印良品を最初に日本で見た時、「明らかにこれはブランドだ」と感じていました。「無印良品」という名前とは矛盾するけれど、非常に強く訴えるものがあったし、作っているものも非常に面白かった。

 ノートにしても何にしてもシンプルで、「わけあって、安い」と打ち出しながらも、クオリティーは全く劣っていなかった。「なかなかショッキングなことをするな」と感じていたわけです。

 それが、ロンドンにも上陸した。ロンドンのMUJIにはよく行きました。価格は高かったし店舗も小さかったけれど、現地の人は結構買っていました。その後でもう1店オープンしましたが、そこは売り場も広くて、ものすごく人が入っていた。非常に印象深かったですね。

人生の節々でセゾングループと関わりがあったのですね。

大倉:ある時、(良品計画会長の)金井(政明)さんと食事をしていて、(世界中の優れた日用品を紹介する)「Found MUJIを始めたんだ」という話を聞きました。

 僕はその時、勢いで「でも生活と切り離したところでそういうものを持ってこられても、しらけるんじゃないか」と言ってしまったんです。「現地の生活を一緒に見せることが大事なんじゃないの」と。

 すると金井さんは、「すごく面白いね。じゃあ取材してきてくれよ」という話になりました。

 そして実際にその後で、良品計画の人と一緒にラオスとインドをめぐって、有楽町にある無印良品の店舗内のアトリエで写真展をやったりもさせてもらったりもしました。

 当時は勢いで金井さんに勝手なことを言ってしまいましたが、今の「Found MUJI」には目利きがきちんといて、優れたものがどこにあるのか、しっかり追いかけていると感じています。

次ページ クリエーティブなものにカネが流れない