無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家--。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。

 

 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 

 連載第12回目に登場するのは、J-WAVEなどのラジオナビゲーターを務める大倉眞一郎氏。1988年に放送を開始したFMラジオ局のJ-WAVEはセゾングループなどの共同出資で誕生した。洋楽を積極的に流すなど、他局とは異なる特徴を打ち出して当時、若者の支持を集めた。電通出身で、J-WAVEに開局前から関わっていた大倉眞一郎氏に、開局にまつわる秘話などを聞いた(今回はその前編)。

ラジオナビゲーターの大倉眞一郎氏(写真/竹井俊晴)

大倉さんは、J-WAVEに開局前から携わっていたそうですね。

大倉眞一郎氏(以下、大倉):J-WAVEは1988年に開局しました。その当時、僕は電通の社員で、開局の2年ぐらい前から準備作業に携わっていました。

 当時は郵政省が新たに認可を下ろすという情報だけが流れていて、ほかは何も決まっていない状態でした。500社弱が認可取得に手を挙げたそうです。そんな時、僕は勝手に「こんな番組ができると面白いかもしれないな」などとタイムテーブルを考えていました。

あるセゾングループの関係者は、堤清二さんが「J-WAVE」の名づけ親だと証言しています。セゾングループが生んだ無印良品では「ノンフリル(無装飾=飾らない)」というキーワードが重要です。J-WAVEも同じように「ノンフリル」を特色にしていました。音楽を中心にして、それ以外の要素を減らすというコンセプトだったようですね。このキーワードは、いつ頃から出ていたのですか。

大倉:実際にJ-WAVEに編成が入った時点からです。編成側からは最初、僕らが想定していたものとは全く違うタイムテーブルが出てきました。(それまでのラジオ局では当たり前だった)複数の番組が連なっていく形ではなくて、すべてがフローで流れていく。

 その中のところどころにスポンサーを付ける枠がある、というスタイルでした。番組数も1週間で10あるかどうか、というくらいだったのです。

 ただ広告代理店としては、その形式では広告枠を売りにくい。番組ごとにスポンサーを付ける商売が一番やりやすいわけですから。それでも、編成側の案をそのまま受け入れました。

 当時、アメリカのラジオ業界は「Less talk, more music」と言われていました。話を少なくして音楽をたくさんかける。そういう言い方が主流だったのに、なぜか編成側からは「ノンフリル」とか「ノーフリル」という言葉が出てきました。

 これはもしかしたら、堤さんの言葉が取締役などを経由して、編成に届いたのかもしれません。ただ実際には、「ノンフリル」という言葉の出どころは、僕もはっきりとは聞いていません。