無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家--。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。

 

 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 

 連載第11回目に登場するのは、J.フロントリテイリングの奥田務特別顧問。奥田氏はJフロントの元会長兼CEO(最高経営責任者)として、かつてセゾングループだったパルコを2012年に買収。1970~1980年代に百貨店業界に旋風を巻き起こし、パルコなどの新業態も次々と生み出した経営者・堤清二氏を、同じ百貨店の大丸を率いてきた奥田氏はどう見ていたのか。西武全盛期の様子や経営者・堤清二の評価などについて聞いた。(今回はその前編)。

 
J.フロントリテイリングの奥田務特別顧問(写真/竹井俊晴)

奥田さんは、同じ百貨店という業態を率いた経営者として、堤清二さんに対してどのような印象を抱いていますか。

奥田務氏(以下、奥田):僕は正直言って、堤さんとはほとんど面識がないんです。世代も違うし、僕らからしてみれば偉大すぎて。堤さんはセゾングループの創業者ですから、僕らのようなサラリーマン経営者とは次元が違います。

 今でもよく覚えているのが、昭和40年代、僕がアメリカに行く前に京都大丸で働いていた時のことです。

 先輩に祇園に飲みに連れていってもらった時、堤さんが歩いているのを見かけました。あの時分の小売業の経営者は60代、70代の年配ばかりでした。その中で、当時の堤さんはおそらく40代。颯爽としていて、「うわ、すごい経営者やな」と思ったのを覚えています。

 1970年代後半から1980年代にかけては、やっぱり西武百貨店の全盛期でした。

 ものすごく新しい店をどんどんとつくっていて、よく見に行きました。僕らのような若者は感激していたけれど、当時の大丸の経営陣は、「あれは百貨店じゃない」と言っていましたね。

 西武渋谷をリニューアルした時は、(米百貨店大手の)ブルーミングデールズを真似してつくったように感じました。デザインなどがよく似ていたんです。いずれにしたって、あの頃の西武百貨店はとても新しかったですね。

どういう点が新しいと感じたのでしょうか。

奥田:三越、大丸、高島屋はもう旧態依然たる百貨店でした。よく言えば伝統的、悪く言えば古い百貨店。バカにしていたわけではないけれど、堤さんは、旧来の百貨店なんか問題にしていなかったのだと思います。発想の起点が全然違っていましたから。

 西武百貨店は、商品の分類や店のつくり方をよく勉強されていました。失礼な言い方ですが、よく見ると内容は大したことはないんです。けれど、オブラートのかけ方がとてもうまかった。アートディレクターの田中一光さんらクリエーターの人たちが、広告や店舗デザインでも新しいものを打ち出したり、キャッチフレーズをつくったり。我々のような古典的な百貨店とは全然違っていましたね。