父は偶像になっていった

当時は西武百貨店の経営がかなり悪化していた時期ですね。

:私がいる間に、父が予想したよりも状況が悪くなってしまいました。私が2年の任期満了で退任したのも、父が「退任してもいいかもしれないな」と言ったからです。

 今だから言えますが、実はあの頃2度ほど、ある銀行に不渡りを出しかかったことがありました。

 当時、父には状況を報告していましたが、父は「ああ、かわいそうにな、百貨店はつぶれるな」と言ったんです。ある夜のことでした。「君も町を歩いていたら、石を投げられたりするかもしれないから、気を付けなさい」とも言われました。

 もしも本当につぶれてしまったら、社会的に批判を浴びることは避けられません。当時は西武百貨店の幹部から自宅にしょっちゅう電話がかかってきていました。父の書斎から、時々怒鳴り声が聞こえていた時期でした。倒産には至りませんでしたが、大変な状況だったのです。

少しずつ経営が傾いていく様子を、たか雄さんも体感していたわけですね。

:あとから思えば、あの頃はオフィスの雰囲気が良くなかったですね。西武百貨店で働く社員の雰囲気も、私が中学生や高校生だった頃は、もっとクリエーティブな感じだったわけです。そのイメージで会社に入ってみたら、雰囲気が全く違っていて驚きました。

 父は芸術家肌だったので、組織をつくった時点で興味が失せてしまうというのが、本人も自覚していた弱点でした。幹部や部下に任せて放置してしまうわけです。つくるまでが好きな人だったので。

 十分な管理体制がない中で、みんなが好き勝手なマネジメントを実践して、サービスの質も、落ちてしまいました。

堤さんはリベラルな人なのに、セゾングループでは忖度の文化が生まれていました。

:皮肉ですよね。父が放置しすぎたのもあるんだと思います。放置すると、下で働く人はトップを神格化したくなるものです。

 今でも、セゾン現代美術館の年配の人の中には、私に堤清二の姿を投影して、期待している人もいます。大分、その気配も薄れてきましたが……。要は、堤家とかセゾンと聞くと、直立不動になってしまう。彼らはやはり創業家には、崇高でいてほしいのだと思うんです、自分たちのリーダーだから。そうやって、父は偶像になっていったんだと思います。

西武グループ創業者で、清二さんの父でもある堤康次郎さんも西武鉄道では神格化されていたそうですね。

:それが嫌で、父はセゾンの経営を西武鉄道から独立させたんですけどね。

 康次郎氏を慕っていた人が組織に残っていたりすると、強いリーダーであってほしいと神格化したがる。父はそれが嫌だと思っていたわけです。

 例えば父は、運転手さんに対してどこに行く時も「(建物の)正面にクルマを着けないでください」と言っていました。自分の会社でも、通用口の端の方に着けていました。

 「お客様がとにかく大事なのに、自分が店に行くと、そちらばかりに気が行くからダメだ。お客様の対応をしなさい」と社員には言っていました。

 本人が理想としているものと、逆のものになっちゃってしまったんだと思います。それを嘆く一方で、「やっぱり原因は僕にあるんだ」とも言っていました。ほったらかしにしすぎた結果、そうなったと本人も分かっていたんです。