全5313文字

 無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家--。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。

 日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』だ。

 本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。

 連載第10回目に登場するのは、堤清二氏の次男で、セゾン現代美術館の代表と館長を務める堤たか雄氏。経営者として辣腕を振るった堤清二氏だが、家族にとってはどのような人物だったのだろうか。堤たか雄氏に話を聞いた。(今回はその前編)。

セゾン現代美術館の館長と代表を務める堤たか雄氏(写真/竹井俊晴)

たか雄さんから見た堤清二さんは、どのような人物でしたか。

堤たか雄(以下、堤):キーワードは自己否定とロマンです。

 詩人や作家の時にはロマンチストで、経営や実業に携わる時はリアリスト、その両面を持っていました。

 けれど、父自身はリアリストである自分はどうも嫌だったようなんです、どちらかというと。晩年は(堤清二氏の作家名である)辻井喬でずっといたいというのが本人の希望でした。経営から引退すると宣言をしてからは、かなり創作に力を入れていたので幸せだったのではないでしょうか。

 ビジネスの世界に情は禁物でしょう。そしてリアリストであるほど、ドラスチックに経営を実践しなくてはなりません。父もそれを実行せざるを得なかったのだと思います。

 ただ、それでもつい情が出て判断を誤って、後で「失敗だった」と本人が言っているケースがいくつかあります。(不動産開発を手掛け、セゾングループが解体する要因になった)西洋環境開発という会社を救おうとしていろいろ私財を投じましたが、「あれはもっと早くに潰すべきだった」と、本人は後悔したらしいですね。

 「あの時はちょっと情に流されて判断を誤った」というようなことを言っていました。

 父は、根本はすごく優しい人だと思うんです。例えばチョウとかトンボがクモの巣にかかって、捕食されそうになっていると、父は糸を切ってあげるんです。かわいそうだと言って。

 生態系の観点からは、クモも生きるために必死で捕食しているので、多分放っておいた方がいい。けれどロマンチストで情がとてもあったのです。テレビで高校野球の放送をしていて、どちらかが圧倒的にリードしていると、「これはかわいそうだ」「点を取らせてやりたい」なんて言っていたりしていました。判官贔屓というのがありましたね。

弱者に寄り添うという信条があったんでしょうね。

:父の視点は一貫して弱者の側にありました。体調がちょっとよくなった時に相馬市などの東日本大震災の被災地に行ったりもしていました。

 もともとが中道左派で、リベラリストだったというのが根幹にあって、威張ったりすることは絶対ダメでした。ロマンチストであり、リベラリスト。それに集約されます。

 あとは意外にも、感情の起伏のある人でした。機嫌が悪くて考え事をしている時に話しかけても、その時の答えは覚えていないんです。思考は別の方に行っているから。それを母や兄、私はよくわかっていたので、父が考え事をしている時には話しかけないようにしていました。

 また「経営者の頭」から、「詩人の頭」「作家の頭」と、ころころ変わる人でもありました。一番長く父の秘書を務めた人は、父のこの頭の切り替えについていくのが大変だったと言っていました。

 その秘書の方いわく、「経営者として話をしていたと思ったら、その直後に作家の頭になっている。だから周りの人は付いていけなかった」そうです。経営のことは分かっても、それ以外は分からない人は、どうしても多いですよね。そして、父の思考に付いていけなくて質問をすると、勉強不足だと怒られたりしていたそうです。