「出来損ないの現代詩」

堤清二氏のエッセーの中でも、林さんのことが触れられています。当時はどのようなやりとりがあったのでしょうか。

:コピーライターとしてプレゼンテーションに参加した時、堤さんに「君のコピー、ひどいね」というようなことを言われました。

 私は末席にコピーライターとして控えていただけで、直接はほとんど口をきいていません。

 それでも、つくったコピーが「出来損ないの現代詩」と言われたのはよく覚えています。もう、周りの人は真っ青ですよ(笑)

 当時、堤さんは広告などのクリエイティブなものは小さなものもすべて見ていました。

 堤さんは、私が作家になった後も「君はコピーライターの素質がないって僕があれだけ言ったから、今の林さんがあるんだよ」とよくおっしゃっていました。

 私が西友にいた当時の堤さんは、みんなにとって雲の上の人。もうすごい威厳がありました。普段、雑駁な格好をしているフリーのクリエーターですら、みんな堤さんの前に行く時にはネクタイを締めていて。

 新しい支店長があいさつに行ったら、緊張のあまり卒倒して、堤さんご本人が直接ネクタイを緩めてあげた、という話もあったくらいです。だからこそ、どうして(『熱中なんでもブック』のような)ああいう下世話なこともよくご存じだったかな、と不思議なんです。

林さんをはじめとして、セゾンから巣立ち、今なお活躍する文化人は多いですね。

:私は1982年に初のエッセイ『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を発表しました。これも『熱中なんでもブック』をつくった時に、雑誌「主婦の友」の編集者と知り合って、そこからつながっていったんです。

 先日亡くなった秋山道男さんもセゾングループで活躍した後、いろいろな映画をつくりました。(1984年にベストセラーとなり「マル金」「マルビ」などの言葉で流行語大賞を得た書籍『金魂巻(きんこんかん)』を書いた)漫画家の渡辺和博さんなども、みんな当時の仲間でした。

 これだけ文化をつくった企業は、ほかはサントリーくらいではないでしょうか。イオンやTSUTAYAがこれほど多くの文化人を輩出したかというと、していませんからね。

 (セゾングループで活躍したクリエイティブディレクターの)小池一子さんのところで働いていた原田マハさんにお会いしました。小池さんと原田さんは今も親しくしているようなんですね。そう考えると、原田さんは堤さんの孫弟子のようなものですね。

 原田さんは今、本当におしゃれな文化人の代表になっています。そう考えると、堤さんのまいた種が、現代でも確実に実になっているんですよね。

 若い女の子がちょっと部屋に絵を飾って、ヨーガンレールのような感じの生成の木綿の服を着るというライフスタイルが生まれたのは、セゾン文化があったからだと思います。

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