無印良品は不要になる世界
三浦さんの無印良品との出会いは?
三浦:僕は入社1年目には(東急東横線の)祐天寺駅の近くに住んでいました。そこのファミリーマートに、無印良品のメモ帳や鉛筆が売っていたんです。「これだ!」「こういうのが欲しかったんだ!」と小躍りしましたね。
当時は無印良品が、まだ西友の小さな一事業だった頃です。ですから西武百貨店に迷い込んだ時や、無印良品を見た時に、えもいわれぬ感動を覚えた。やはり波長が合っていたんでしょうね。
先ほどの赤ちゃんと一緒に暮らすシェアハウスでは、部屋に無印良品の商品なんて1つも置いてません。そのかわり、拾ったものか、もらったものがたくさんある。
彼らも無印良品は好きだけれど、無印良品のあるシンプルな暮らしをしたい世代ではありません。無印良品的な思想が内面化され、生活が最初から無印だからこそ無印良品がいらない世代になっている。

ほかにも、『100万円で家を買い、週3日働く』で取材した人たちが使うもの、持っていたものは、自分がつくったもの、拾ったもの、もらったものばかり。そういう価値観、広い意味のシェアが確実に浸透しているわけです。
シェア的に生きる人にとっては、「拾いました」「もらいました」「これはおばあちゃんから引き継いだものです」という方が納得がいくようになってきているわけです。それが自然であると感じる世代が、今の20代、30代です。
逆説的ですが、無印良品の思想が究極的に広がれば、無印良品は不要になるのです。
堤さんも、さすがにそこまでは言わなかったけど、でもきっと考えていたはずです。無印良品の思想が広がれば、究極的には、無印良品そのものが不要になる。
『第四の消費』のインタビューでも最後は「無印良人」が「無印良事」をして暮らす街ができるだろうと言っています。
最近中国で『第四の消費』が売れているので、たびたび上海に講演に行くのですが、ショッピングモールにはあまり人が歩いていないんです。
けれど、古い町工場街に飲食物販の店が集まっている横丁が人気です。そこでは中国人も外国人も、観光客であふれています。
やはり上海は近代都市としての歴史が東京と同じ時代に始まったから、第四の消費的な現象がいち早く起こるのだなと思いましたね。
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