西武は堤さんのワンダーランド

セゾングループが解体に追い込まれたことについてはどう見ていますか。

三浦:僕は、(社会学者の)上野千鶴子さんとの対談で、「堤清二には死への欲望がある」と話しました。

 「だから自分が死んだ後、自分のつくった会社が残っているのはイヤなんじゃないか」と話して、それを上野さんが、堤さんとの対談で伝えました。

 ただ、その時の上野さんと堤さんのやりとりからすると、自分が死んだ後に残ってなくてもいいとは思ってないようだったのだけれど。

 おそらく堤さんにとって、死後もずっと残ってほしいと思っていたのは無印良品でしょう。パルコも結構、愛着があったと思います。イオンがパルコの株を買った時も、「今度、株主総会で文句を言うんだ」とおっしゃって、顔面を紅潮させていましたから。

 その前後に西武鉄道の方でも、ファンドによる買収がありましたよね。投資家が企業の株を買ったり売ったり、不採算だからやめたり。そういった動きをとても嫌っていました。やっぱり堤さんはアメリカ的資本主義が嫌いなんですね(笑)。

ハンバーガーショップやショッピングセンターなども好きではなさそうですよね。

三浦:(レストラン西武、のちの西洋フードシステムズが運営していた)ファミリーレストランは、あまりうまくいっていかなかったですよね。徹底した合理化ができないためでしょう。コンビニエンスストアのファミリーマートもある意味、セブンイレブンに比べれば効率化しきれていない。

 けれど今度、ファミリーマートがドン・キホーテと提携するというのは、ある意味では、堤さんの精神が生きているのだと思います。だって、有楽町西武なんて、ドン・キホーテそのものでしたから。

 当時、FEN(在日米軍向けラジオ)しか聴けないラジオをソニーがつくっていました。そのFENを、セーターの隣に売っていたんです。単なる「○○売り場」といったものを、堤さんは破壊した。

 有楽町西武の特集を組んだ時の「アクロス」で、「コンセプトは森である」としました。

 森にイノシシを狩りに行ったら、こっちにおいしそうなキノコがあった、今日はこれを取って帰ろう、みたいな。森で発見するわけです、畑ではなく。ここはダイコン畑、ここはトマト畑、ではありません。森だから、何があるのかは分からない。迷い込んで、「ああ、空気がいいな」「葉っぱがきれいだ」と言いながら歩いていると、「あ、キノコが」「あ、泉が」「水がおいしいみたいな」という世界を目指した。こういうふうに売り場がつくってあったわけです。

 だから最初の有楽町西武はとても面白かった。でも運営は大変でしょうね。段々と普通になっていきましたが、最初はとてもユニークだった。

 きっと本来、堤さんがやりたいようにやると、ああなるのでしょうね。つまり「ヴンダーカンマー(驚異の部屋)」になるんです。自分が好きなものに囲まれた部屋をヴンダーカンマー、ワンダールームと言いますが、まるでルートヴィヒ2世のお城のようなものです。

 渋谷西武も、僕が入社した頃はまだそうでした。とにかく何だか分からない店が横丁みたいに並んでいました。簡単に言うと、おもちゃ箱を引っ繰り返したようなのだけれど、何とも文化的でした。

 非効率的、でもすごく面白い。僕はパルコにいた頃、毎日渋谷西武に行っていました。西武の方が店としては面白かったですから。

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