堤清二の「流通業コンプレックス」

結局、セゾングループは解体されてしまいました。セゾン文化については、まだ残っているのでしょうか。

永江:どうですかね。(セゾングループの書店だったリブロを買収した)日本出版販売の子会社の再編で、やっぱり、「リブロ的なるもの」は解体され尽くしたなと思いました。池袋の旗艦店がなくなってしまいましたし。

 堤さんの根底には、「流通業」であることのコンプレックスのようなものがあったのではないかと思います。言い替えれば、「モノを作る人ではない」ということに対するコンプレックスです。

 セゾングループは、出版関係だと書店チェーンのリブロのほかに、リブロポートという出版社を経営していました。けれどここは結局、解散するまで一度も黒字になったことがなかったと言われています。

 (西武池袋の)10階にレコード売り場があって、11階にリブロがあり、出版社のリブロポートがあって、モノを作って売るということもやっていました。レコード会社でいうと、ジャパン・レコードにも一時期、セゾングループが出資をしていましたし。

 単にモノをどこかから持ってきて売るだけではなくて、発信者として生み出したいという願望といいますか、欲望が、堤さんにはあったのだと思います。

 いつだったか、堤さんに対して「経営者と文学者という矛盾した自己を抱えていますよね」と言ったことがあるんです。それに対して堤さんは、「どんな人でも二面性、多面性を持っているんじゃないかな」と言っていましたね。

文学と経営、両方で名を馳せた経営者はなかなかいません。

永江:堤さんはかつて、「堤清二の名前で発表した著作も、本当はすべて辻井喬の名前で出したかった」と言っていました。『変革の透視図』(日本評論社)なんかの流通論がテーマのものも含めて。

 「自分“本体”は辻井喬なんだけど、出版社には辻井喬の名前で流通論を発表しても売れないと言われた」と話していました。どこまで本音かは分かりませんけれど。

 彼自身は作家・辻井喬をとても大事にしていましたね。セゾングループが解体した後で堤さんに会うと、「作家としては新人ですのでよろしくお願いします」と言っていましたから。もう全集まで出ているのに、まだ新人ですって(笑)。「それ、すごく嫌みですよ」と返しましたけど。

 セゾングループの経営から離れて初めて、専業作家になれるんだという思いもあったのでしょうね。面白いのは、「経営者・堤清二」と「作家・辻井喬」が彼の中では不可分なものだったという点です。そこが堤さんの人間の豊かさであり魅力でもありました。

(後編に続く)