堤さんの本当の「不幸」

当時、セゾン文化は世の中の大きな注目を集めていました。実際には当時のセゾン文化はどのように評価されていたのでしょうか。

永江:一部の人たちだけが面白さを分かる、アヴァンギャルドなものというイメージはあったと思います。

 私が働いていたアール・ヴィヴァンで積極的に扱っていたのも、印象派以降のものですから。いやらしい言い方をすると、「大衆には分からないよね」という感じもあったでしょうし。

 ただ大衆の一部はそこにひかれたんです。何が新しくて、最先端で、それがどういうふうに一般化していくかという構図がとても分かりやすい時代だった。

 映画『プラダを着た悪魔』の中で、主人公の女の子は途中までファッションを小ばかにしていました。

 それに対して、アナ・ウィンター(アメリカ版「ヴォーグ」の編集長)をモデルにした編集長が、「あなたが着ているこのセーターの色は、何年に誰それがどういうコレクションで発表して、その何年か後にもっと大衆的なアパレルメーカーがつくったものよ」というふうに指摘します。

 まさに、そういう構図が非常に分かりやすい時代だったのです。新しいものはまず西武百貨店にあって、それが少しずつ一般化されて、最先端の流行をまねしたデザインのものが、はるかに安い値段で売られていく。そういう流れです。

当時、セゾングループで働いていた人は、自分たちが時代や文化をつくっているという自負があったんでしょうか。

永江:あったでしょうね。それがすごくいやらしくもあったし、だからこそできたというのもあったと思うし。

 中で働いている人たちは、自分の力やお金で流行をつくっているわけではないですよね。西武百貨店の力や知名度があるからできている。それなのに、あたかもそれが自分の能力であるかのように振る舞っていました。それはいやらしかったなと思います。

 すごく傲慢、高慢な感じと言いますか。「自分は一般人とは違うよね」といった意識があったのだと思います。

 今振り返ると、堤さんの不幸は、自分が経営する会社の中で、自分が忌み嫌う世界が広がるのを放任せざるを得なかった点にあったのだと思います。組織の宿命、なのでしょうが。

 堤さんは死ぬまで共産主義者だったし、「西武百貨店の目的は、成熟した近代市民、自立した近代的な市民を育てることなんだ」と言っていました。「選挙の時に政策をきちんと見極めて投票できるような自立した近代的な市民を育てるのが西武百貨店の役割なんだ」と思っていました。

 だから、無印良品が堤さんの最高傑作なのだと思います。