堤清二と柳田國男の共通点

堤清二さんは経営者でありながら、思想家的な側面がかなり強かった、ということですね。

大塚:日本の近代の中で言えば、柳田國男の思想と非常によく似ています。

 柳田國男は、ミドルクラスの農民を中心とした近代化を考えていました。「普通選挙で正しい判断をできるような価値基準を自分で学んでいける『個人』を大量につくらないと、この国では近代国家を実現できない」というのが柳田の考え方です。堤清二はそれに近い部分がありますよね。

 堤清二は柳田國男の本をそれなりに読んでいたのだと思います。

 柳田國男も自分のことを「経済の側の人間」だとか「一種の社会主義者」だと言っていた時期もありました。柳田民俗学は本来、農業経済政策から始まった社会政策論ですからね。日本の伝統がどうというのではなくて。

 社会政策論者としての柳田の思想は、近代の日本がつくったリベラリズムの系譜です。

 社会主義革命を目指すわけでもないし、かといって新自由主義経済の方に突っ走るわけでもない。資本主義を修正しながら「個人」を可能にし、「社会」を構築して、近代を達成していく。そういう思想だった。堤清二はその系譜にいたと思います。もちろん、肯定的に評価して、の話ですが。

 そういう意味で、社会を構想する力というのか、近代を設計していく力、「ユートピアニズム」というのが、あの時期までは日本の企業のトップには総じてありました。

それは堤さん以外の経営者にもあった、ということですか。

大塚:堤清二はナベツネさん(読売新聞グループ本社主筆の渡辺恒雄氏)だとか、日テレの氏家さん(日本テレビ放送網会長だった氏家斉一郎氏)が同期ぐらいでしょう。みんな、そんな感じはしますよね。

 堤清二も含め、戦時下、戦後に社会主義、共産主義に1回近づいて、そこで社会科学的なユートピアニズム、社会主義的な未来の設計方法を理解して、一方では戦時下の近衛新体制で育った人たちです。

 (近衛文麿の)近衛新体制というのは、ファシズムだけれども同時に社会主義という二重構造でした。彼らはそこにある合理性や、政策の中心だった科学主義に強い影響を受けたのです。一方で堤清二は文学者ですよね。

 文学的に未来や歴史をイメージしていく力と、社会科学的、もしくは自然科学的に、歴史や社会を構築・設計していく力が、経営者・堤清二の中にはあった気がします。

今の経営者にそういう力はないのでしょうか。