無印良品、ファミリーマート、パルコ、西武百貨店、西友、ロフト、そして外食チェーンの吉野家——。堤清二氏が一代でつくり上げた「セゾングループ」という企業集団を構成していたこれらの企業は、今なお色あせることはない。
日本人の生活意識や買い物スタイルが大きな転換期を迎える今、改めて堤氏とセゾングループがかつて目指していた地平や、彼らが放っていた独特のエネルギーを知ることは、未来の日本と生活のあり方を考える上で、大きなヒントとなるはずだ。そんな思いを込めて2018年9月に発売されたのが『セゾン 堤清二が見た未来』)だ。
本連載では、堤氏と彼の生み出したセゾングループが、日本の小売業、サービス業、情報産業、さらには幅広い文化活動に与えた影響について、当時を知る歴史の「証人」たちに語ってもらう。
連載第4回目に登場するのは、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文名誉顧問。セゾングループが解体していく中、西武百貨店はそごうと統合し、2006年にセブン&アイの傘下に入った。セブン-イレブン・ジャパンという最強のコンビニチェーンをつくり上げた鈴木名誉顧問は、戦後の小売業界を切り拓いた堤清二氏とセゾングループの事業をどのように見ていたのか。話を聞いた。(今回はその後編)

セゾングループが手掛けた事業の中には、コンビニエンスストアのファミリーマートもあります。鈴木名誉顧問がセブンイレブンを始めるよりも前の1973年に、セゾングループはコンビニ1号店を出店していました。
鈴木敏文・セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問(以下、鈴木):そうそう。あの当時、流通大手にはみんな、アメリカでやっていることをどう日本に持ち込むかという考え方がありました。
ただ、セブンイレブンに関して言えば、(米国の本社に)日本で生かせるような、コンビニ経営のノウハウがあると思っていたら、そこにはなかったんです。米国本社と契約をして、ノウハウ料は払っていたけれど、何も取り入れなかった。
だから一から自分で考えて、事業を展開するしかなかったんです。それが今のセブン−イレブン・ジャパンの基盤にあります。
もしあの時、少しでも参考になるようなノウハウが米国のセブンイレブンにあったら、逆に日本ではうまくいかなかっただろうね。
ファミリーマートとセブンイレブン、そしてダイエー系のローソンも含めて、出店はほぼ同時期だったにもかかわらず、その後たどった道は大きく異なりました。セブンイレブンが先行して成長できたのはなぜでしょうか。
鈴木:セブンイレブンの根底にあるのは、日本でコンビニというものをどうつくるかという考え方です。僕は日本においてコンビニという事業を新たにつくるという考え方でしたから。
セブンイレブンを始めた当初は、みんなが「コンビニはうまくいきっこない」と考えていました。メーカーなど大きな取引先は相手にしてくれなかったので、小さなところと組みました。彼らは、セブンイレブンがいずれは「資本を入れたり、買収したりする」などと、警戒していました。
そこで私は、「絶対にそういうことはしません。加えて、出店数は約束します。あなたたちの売り場がなくなるようなことはしませんよ」と約束したんです。
その代わり、セブンイレブンに商品を入れるんだったら、食品なら食品、お弁当なら弁当、それぞれ、自分たちのノウハウをすべて出し合って、協力して下さいと伝えて、約束してもらいました。こんなことを約束する流通は、ほかにはなかったと思います。
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