「急激に伸びた会社は急激にダウンする」

吉野家をはじめとして、大手の外食企業にとって基本であったチェーンオペレーションや科学的な経営管理のノウハウを、ダンキンドーナツに移植して再生しようとしたのですね。堤氏には、再建案を報告しましたか。

安部:報告に行きました。その時にいくつか指摘を受けたことを覚えています。

 「なかなか文化の違う2つの企業が一緒になった。そうした事情も踏まえてやっていかないといけない。正しいからうまくいくということでもない」と堤さんから言われたのです。

 単に吉野家の流儀でやってもうまくは行きませんよ、という趣旨で、ディー・アンド・シーの企業文化も尊重する必要があるという指示だったと思います。

 もう一つ、ディー・アンド・シーの合併とは別に、吉野家について印象に残るひと言を堤さんは言いました。「急激によくなって急激に伸びるところは急激にダウンすることがある」と。山高ければ谷深しということです。

 吉野家がかつて経営破綻したことも踏まえて、これからはなだらかな成長ステップを考えた方がいいという意味だったのだと思います。

 ただその後、セゾングループそのものが解体していったことを考えると、皮肉な話ではありますが。

安部会長は1992年、42歳の若さで吉野家の社長に就きました。その後、外食業界では1997年、持ち帰りすし店大手の京樽が1000億円超の負債を抱えて会社更生法の適用を申請しました。当時はどこが支援企業となるのかが焦点になり、吉野家は有力候補とされていました。けれど、結局は食品メーカーの加ト吉に決まりました。どんな経緯があったのでしょうか。

安部:支援企業になるのは当社しかないと思っていました。それにもかかわらず、加ト吉に先を越されたのは、セゾングループ幹部たちの間で、堤さんへの忖度が強すぎたことが一因だと思います。結果として、京樽の再建を担当する弁護士との交渉など、初動が遅れてしまいました。

 当時、堤さんは形式的にはセゾングループの代表を退いていましたが、オーナーとしての影響力はありました。後から聞いたら、堤さんは京樽を支援することに賛成だったそうなのです。けれどセゾングループの幹部らは、「堤さんは賛成しないはずだ」と忖度していたようです。

 結局、管財人になった加ト吉はうまく京樽の再建を進めることができず、1999年には吉野家が支援企業となり、私が管財人に就いたのです。

次ページ BSE問題で吉野家を激励した堤清二