制約があるところにイノベーションがある

林野:もう一つ、セゾングループの歴史を振り返って感じるのは、やはり制約があるところにイノベーションが起きるということです。

 当時、池袋という、百貨店としては不利な立地から西武百貨店がスタートしたことで、文化を核にしたイメージ戦略や様々な革新が起きました。

 恵まれていない環境で歯を食いしばって頑張る。それが成果を生み出す。やがて時代が変わる。そういうことです。

 経営環境が変化する時にチャンスがやって来て、厳しい状況の中に置かれていた方がチャンスをつかみやすい。エスタブリッシュメントの企業が安穏として、あぐらをかいたり、社員が慢心したり、努力を怠るようになったりすると、結局は負けます。結局は時間とともにエスタブリッシュメントが衰退すれば、後から来た人に抜かれてしまうわけです。

セゾングループは1980年代までに急拡大を実現しましたが、権威のあるエスタブリッシュメント企業という存在ではありませんでした。慢心して後続企業に追い抜かれたというよりも、堤氏がリゾートやホテル事業など夢を追い続けたあまり、バブル経済の崩壊とともに自壊した印象があります。結局はセゾングループは解体に至りました。

林野:堤さんは発想が早すぎるんですよね。いつも早すぎる。それが、彼の若い頃にはちょうどよかったのかもしれません。日本経済も急速に発展していましたから。

 けれど堤さんが50代になると、今度は先へ行きすぎた感じがします。年を重ねて、先が見えてきて焦ったのかもしれません。そして60代半ばの頃に、バブル崩壊に見舞われます。

 バブル崩壊後、セゾングループが財務的におかしくなり、堤さんは経営から退かざるを得ない立場に追いやられました。不本意だったと思います。

 ご自身は文筆活動に力を注いでいましたが、本当はずっと、経営者と作家の二役で行きたかったのでしょうね。

林野社長は堤氏を天才のように思って、憧れて入社したわけですが、長い間、彼の下で働いて、改めてどのような人物だったと思いますか。

林野:この世に天才はいません。とてつもない努力の人だったと思います。財界人、取引先、政治家、芸術関係など、寸暇を惜しんで人と会っていました。

 時には一晩で会合が三段階になっていて、はしごをするようなこともありました。帰宅してからも、深夜に音楽を聴きながら、頼まれたものを執筆することが、多かったようですし。人と話すときは、いつも何か書き留める「メモ魔」でした。私の人生も、ビジネスマンとしてどうにか通用するのも、すべ堤清二さんのおかげです。

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