下平:マクドナルドは、レイ・クロックさんが1955年4月15日に1号店をシカゴ郊外のデスプレーンズというところでオープンしたのが拡大の始まりです。実際にはマクドナルド兄弟がマクドナルドのビジネスを始めたのはもっと前ですが、レイ・クロックさんが構築したFCモデルで藤田さんがフランチャイジーとなって、マクドナルドを日本に導入しました。

 先ほども説明しましたが、藤田さん時代の日本のマクドナルドは、それ自体が1つの大きなフランチャイジーのような存在でしたので、店舗展開も直営店が主体でした。FC加盟店も一部では展開していましたが、それものれん分けして社員が独立することが多かったのが実情です。そのビジネスモデルは、上場後も何も手を付けずに来ていました。

 それを原田さんが一度、全部、整理しました。地区本部制を廃したのは、東京の日本マクドナルド本社を中心とする、中央集権的でシンプルな体制に変えることで、本社の戦略を迅速に実行して業績を回復させるためでした。

 2008年からは、米国のマクドナルドのように、日本国内でもFCを主体した体制に作り変えました。今では7割がFC加盟店になっています。

 FC加盟店が主体になったのに、中央集権的な体制が、いつまでも持続できるわけではありませんでした。そこで、改めて地区本部制を導入したのです。といっても、事業部制的にただ地域ごとに分けるというものではなく、権限もしっかり委譲する形での、本格的な地区本部制です。

日本マクドナルドの総店舗数とFC加盟店数の推移と下平副社長が考える5つの時代区分。4期目のFC化推進期では直営主体から急激にFC化を進めた
日本マクドナルドの総店舗数とFC加盟店数の推移と下平副社長が考える5つの時代区分。4期目のFC化推進期では直営主体から急激にFC化を進めた
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成長段階に応じて、ビジネスモデルが変わってきたということですね。

下平:その通りです。成長途中で最大化を目指していた藤田さんの時代は、藤田さんが1人で米国本社やいろいろな企業と議論をしながら戦略を作っていきました。成長しているときは、それが推進力のあるビジネスモデルとして機能していました。しかし、市場が成熟して、マーケットとしての成長が止まってきたときに、残念ながら藤田さんが退任して軸がなくなった。ですから、誰にとっても藤田さんの後の舵取りは難しかったと思います。

そこに原田さんが来ました。

下平:原田さんが来て、全く違う観点でビジネスをやり始めました。ですが、日本全国を1つのビジネスモデルで展開できる時代ではなくなりました。今はもっと地域に根付いて、地域のお客様を大切にしないと、なかなか継続的な成長が難しい時代です。その背景には時代の変化、お客様の変化、マーケットの変化があります。いずれも、以前とは全く違いますから。

 そうしたことから、私が本社に復帰してから、新たな形での地区本部制を15年5月に導入しました。全国の店舗を東日本、中日本、西日本の3地区に分けて、それぞれ地区本部長を置いています。地区本部長は執行役員で強い権限があります。

 こうした取り組みは「真のフランチャイズカンパニー」にするためのビジネスモデルの変革です。コミュニケーションを密にして、権限委譲を進めています。

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