10年単位でビジネスモデルを転換

チキン事件や異物混入問題とは関係なく、そもそもビジネスモデルの限界が見え始めていたということですね。

下平:ビジネスは長年続けていると、常に順調というわけにはいきません。どの企業でも100%ということはなく、踊り場があり、業績が上向いたり、下がったりの繰り返しです。

 ですから、ビジネスがどんどん大きくなって成長していけば、次のチャレンジも変わってくると思うんですね。顧客層が広がれば従来のビジネスモデルに問題が生じたり、お客様のブランドに対する期待が違ってきたりすると思うんです。

 2015年以降、とても順調に回復をしていて、今後も成長するように私たちは努力するのは当たり前ですが、いつかまた踊り場があって、そこでまたいろいろと試行錯誤をしながら、次の成長に向かっていく。それがビジネスだと思います。

 日本マクドナルドは1971年に東京・銀座で1号店を開店したのがスタートですが、その後、10年くらいごとに大きな節目がありました。

10年単位ですか。

下平:そうですね。これはあくまで僕の私見ですが。まず、銀座の1号店は、世界のマクドナルドとしては極めてまれなケースでした。マクドナルドは当時、ドライブインのビジネスモデルでしたから。

 日本マクドナルドを設立した藤田田さんが日本のオーナーとなり、日本でどのようにハンバーガービジネス、新しい食文化を拡大するかを考えたとき、彼の答えは1つでした。

 それは完全な日本のローカライズ。だから日本の中で一番影響のある場所に出店する。それは単純に銀座だったのです。まだ牛肉が非常に高かった。そうした状況で、まずは、多くの人に食べてもらう必要があった。ですから繁華街中心に出店する戦略ですよね。しかも、最初は客席がなくテイクアウトのみでした。それが、米国発祥のドライブスルー型のビジネスモデルからの、最初の変革でした。

 それが10年ぐらい経つと時代も変わってきて、クルマ社会になったり、ファミリー単位で動くようになったりしました。既存の店舗では厳しくなってきたところに導入していったのが、ドライブスルー店です。日本では、1号店を出してから10年ほど経ってから、そもそもマクドナルドの強みであるドライブスルー店を広げていったのです。これが2度目の変革です。

クルマから降りることなく注文ができ商品を持ち帰られるドライブスルー。写真はマクドナルド鴻巣店
クルマから降りることなく注文ができ商品を持ち帰られるドライブスルー。写真はマクドナルド鴻巣店

 ですから創業期の次の第2段階はドライブスルーの時代です。これは言い換えるとローカルの時代です。繁華街ではなく、幹線道路沿いなどに出店しますから。客席も100席~200席と多く、広い店舗で食事を楽しんでいただく時代になりました。それが80年代の動きですね。

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