宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。
ヤマトグループは小倉氏が去った後も、氏の経営哲学を守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年7月、小倉氏の後のヤマト経営陣が、カリスマの経営哲学をどのように咀嚼し、そして自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。
本連載では、ヤマトグループとは関係のない外部の経営者たちが、小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約19年。小倉氏の思いは、どのように「社外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのだろうか――。
一橋大学大学院国際企業戦略科の楠木建教授は、2010年に刊行された『ストーリーとしての競争戦略―優れた戦略の条件』で小倉昌男氏の開発した宅急便について解説している。数々の企業戦略を研究してきた第一線の研究者にとって、小倉昌男氏の経営は何が優れているのか。話を聞いた。

1964年、東京都生まれ。1987年に一橋大学商学部を卒業、1989年同大学院商学研究科修士を修了。同校の講師や准教授などを経て、2010年から一橋大学大学院国際企業戦略研究科の教授を務める(撮影:竹井 俊晴、ほかも同じ)
『ヤマト正伝』に登場する5人の経営者の中では、成長戦略のバリュー・ネットワーキング構想をつくった木川眞さん(現ヤマトホールディングス会長)が最も論理的であったと思いますか。
楠木教授(以下、楠木):そうですね。小倉昌男さんが宅急便を開発する当初に考えた、個人間の小口配達とは違うことを、木川さんは始めていきます。最も小倉さん的な経営者だったのではないかと思いますよね。論理的な確信があったから、大きな勝負に出ることができたのではないでしょうか。
木川会長は、旧富士銀行(現みずほ銀行)の出身で、2005年にヤマト運輸に転じ、2007年に同社長に就任しました。2011年からはヤマトホールディングスの社長として、日本最大級の総合物流ターミナル「羽田クロノスゲート」を建設したり、東京、名古屋、大阪をつなぐ大掛かりな物流拠点「ゲートウエイ」を設けていきます。
楠木:設備投資は半端ではありませんよね。
一連のネットワークの構造改革のために約2000億円を投じました。中でも羽田クロノゲートでは、高価な手術器械の拠点機能などを備えています。ここから全国各地の病院に器械を発送し、手術を終えて器械が戻ってくると、クロノゲート内で洗浄やメンテナンスをして、翌日には別の病院に配送する。このメーカーは、業務をヤマトに委託して大幅なコスト削減効果があったそうです。
楠木:過去に例のないこれだけの投資となると、普通なら恐くてなかなか踏み切れませんよね。けれど木川さんには論理的な確信があったのでしょう。
木川会長の取り組みには2つの見方があります。一つは、木川会長が極めて論理的な経営者であったということ。同時に、外部から来た経営者に、あれだけ抜本的な改革を委ねるヤマトの度量が大きい、ということも言えるかもしれません。
楠木:やはり論理は誰でも納得できるものであるわけです。だからこそ、組織内とか外といった議論を超えることができるんです。そういう意味では、論理的な会社でないと、外から来た木川さんのような経営者に、あれだけの大きな事業を任せることはできなかったでしょう。
論理は組織をオープンにするものです。論理が失われると、意味のない閉鎖性が横溢してしまいます。もちろん、外から来た人だからこそ、過去のしがらみにとらわれず、大胆な決断をできたとも思いますが。ただなぜ木川さんの時代に、あれだけ大きなチャレンジができたかというと、小倉さんは論理で考えるという組織的な土壌をインストールしていた。ヤマトの背骨に論理で考える姿勢があるからこそ、木川さんのような人材を登用し、思い切ったことができたのでしょう。
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