宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。
ヤマトグループは小倉氏が去った後も、氏の経営哲学を守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年7月、小倉氏の後のヤマト経営陣が、カリスマの経営哲学をどのように咀嚼し、そして自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。
本連載では、ヤマトグループとは関係のない外部の経営者たちが、小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約19年。小倉氏の思いは、どのように「社外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのだろうか――。
一橋大学大学院国際企業戦略科の楠木建教授は、2010年に刊行された『ストーリーとしての競争戦略―優れた戦略の条件』で小倉昌男氏の開発した宅急便について解説している。数々の企業戦略を研究してきた第一線の研究者にとって、小倉昌男氏の経営は何が優れているのか。話を聞いた。

楠木教授は尊敬する経営者として、小倉昌男さんの名前をよく挙げています。改めて、小倉氏の経営手腕についてどのように評価していますか。
楠木教授(以下、楠木):いろいろな切り口から説明できますが、やっぱり一つには、インフラのビジネスとしての本当に王道である、ということです。チャラチャラしたところが全くありません。
社会が成熟すると、ビジネスとして“チャラチャラしたもの”が相対的に増えるのは必然です。ウェブサービスなどがこれに当てはまりますが、それは全く悪いことではない。最近では起業するといっても、参入障壁が低く、アイデアだけで挑戦できるようなスタートアップもたくさんあります。別にこれは悪いことではなく、それはそれで問題がないと思っています。
ただ、歴史を振り返ると、例えば明治期や戦後復興期にはまず造船業や鉄鋼業、セメント会社など、インフラ的なものがゼロから産業化し、近代化していった。そして社会が成熟すると、そういったものがひと通り整って、モノも溢れていく。するとカジュアルな、分かりやすく表現するなら“チャラチャラしたもの”が増えていく。
そうした中で、小倉さんが宅配便事業を始めたのはそんなに古い話ではありません。1976年にスタートしていますから、戦後の高度成長期がおおむね終わった後で登場した、究極的なインフラのビジネスなのです。社会的責任をはじめ、負荷が強くかかる、とてもシリアスで本当の意味での品質が求められるビジネスなのです。
インターネットが直近の四半世紀で、世の中に普及しました。インターネットは起業する人にとって最大の機会だったわけです。インターネットの拡大の流れをとらえて大小さまざまな企業が生まれ、実際に経済をリードしてきた。
しかしそれが一巡して、今度は“チャラチャラしたもの”が飽和し、改めてよりシリアスなビジネスが求められている。まさにカジュアルからシリアスへ、というのが一つの逆転現象として起こっています。そして宅急便のビジネスはシリアスな世界で、本当の質が求められる経営だったのだと思います。

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