「チャンスは貯金できない」

平野:1987年の年末までに、スーパードライは年間1350万箱を売りました。新商品の初年度販売記録でした。宅急便がなかったなら、地方在住の人がスーパードライを飲むことはなかったのです。ここまで大きなヒットにはつながらなかったでしょう。

 小倉さんが宅急便をつくったのは1976年。それから国と戦いながらも、サービス地域を拡大させていく。一般消費者の声がメーカーを動かし、そこには宅急便があったということです。

ビールの新商品のそれまでの記録は、1986年発売のサントリー「モルツ」が打ち立てた184万9000箱でした。業界では初の100万箱超えでしたから、当初の関東だけで100万箱も大きな目標だったと思います。小倉さんは経営資源を宅急便に集中させて事業を成功させましたが、アサヒも同じだったのではないでしょうか。

平野:樋口さんは経営資源をスーパードライに集中させます。すごいと思ったのは、新工場建設をはじめ、大掛かりな設備投資も決断したことです。メーカー出身の社長ではできなかったことです。

 平素から、「チャンスは貯金できない」とバンカーらしい言葉を使っていました。1991年に稼働を始める茨城工場の建設などから、アサヒの生産能力は1991年には、1986年の5倍に拡大します。

 1988年からはライバル3社がドライビールを投入し、いわゆる“ドライ戦争”が始まりますが、先発でドライを開発したアサヒがこれに勝利します。

 宅急便も事業が軌道に乗った途端に、同業他社の35社が参入。いわゆる“動物戦争”が勃発して、ヤマト運輸さんが勝利します。このあたりは、宅急便とスーパードライは、やや重なりますね。

(後編に続く)