スーパードライのヒットを支えた宅急便
現場の提案によってヒットへと動き出したのですね。酒屋さんを取次店として宅急便は立ち上がっていきますから、宅急便と酒販店との親和性も強かったでしょう。
平野:実は、これで終わりではないのです。宅急便による第2波がほどなくやってきます。桜前線が北上し、ゴールデンウィークが過ぎた頃、九州や中国、関西など、関東以外の卸さんから、「スーパードライが欲しい」という要望の電話が相次いだのです。
最初、私たちは不思議でなりませんでした。商品を売ってもいない地域の卸さんから、どうして商品の問い合わせがくるのかと。そこでよくよく話を聞いてみると、どうやら酒販店から「販売したい」という声が、卸に次々と寄せられていたのです。
何でも、酒販店にスーパードライを買いに来る一般のお客様が増えているとのことでした。もちろん、一都六県以外では販売していませんから、売るわけにはいかなかった。
調べてみると、ここにも宅急便の存在があったんです。東京など関東圏に住む人がスーパードライを飲み、「東京においしいビールがある」と、出身地の親戚や知人に宅急便を使って送っていた。また出張や旅行で関東を訪れてスーパードライを気に入った人も、たくさんいたそうです。
そんな風にスーパードライに出合った地方の人たちが、スーパードライを求めてお酒屋さんに足を運んだ、ということでした。そして酒販店は、「お客様がスーパードライを飲みたがっている。すぐに商品が欲しい」と卸に訴えていたのでした。
ここで、大きな決断を下したのは、当時アサヒのトップだった樋口廣太郎社長(旧住友銀行元副頭取)です。スーパードライの全国発売と増産を即断したました。
ビールはつくるのに2カ月程度かかります。一方、ビール会社の生産設備、つまり生産能力は限られています。前年の1986年にリニューアル発売した「アサヒ生ビール」が支持を受け、年間4000万箱(一箱は大瓶20本=12.66リットル)ほどの販売量がありました。これに対し、関東圏限定販売としたスーパードライの販売目標は100万箱。
つまり、夏場の本格商戦に向け、生産を大幅に切りかえたのです。もちろん、大きな賭けです。新商品が全国で、売れるのかどうか分かりませんから。
結果として、スーパードライは爆発的に売れていきます。売れただけではなく、品薄になっていく。

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