宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。

 ヤマトグループは小倉氏が去った後も、氏の経営哲学を守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年7月、小倉氏の後のヤマト経営陣が、カリスマの経営哲学をどのように咀嚼し、そして自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。

 本連載では、ヤマトグループとは関係のない外部の経営者たちが、小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約19年。小倉氏の思いは、どのように「社外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのだろうか――。

発売から約19年経った今も長く読み続けられている『小倉昌男 経営学』
発売から約19年経った今も長く読み続けられている『小倉昌男 経営学』
2017年夏に出版した小倉氏の後の経営者たちの物語『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』
2017年夏に出版した小倉氏の後の経営者たちの物語『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』

 1987年に発売し、今やメガヒットブランドとなったアサヒビールの「スーパードライ」。発売当初は、関東地方だけの限定販売だったという。それなのに発売後、スーパードライは日本各地から、続々と注文が入るようになった。その背景にあったのが、小倉昌男氏の開発した宅急便の存在だったという。アサヒビールのスーパードライと、ヤマト運輸の宅急便。一見すると、全く関係のない2つの商品に隠された“歴史”とは何だったのか。アサヒビールの平野伸一社長が明かした。

<span class="fontBold">平野伸一(ひらの・しんいち)<br /></span>1956年広島県生まれ。1979年に早稲田大学教育学部を卒業後、アサヒビールに入社。2013年同社専務、2015年副社長を経て、2016年3月からアサヒビール社長に就任。(撮影:竹井 俊晴、ほかも同じ)
平野伸一(ひらの・しんいち)
1956年広島県生まれ。1979年に早稲田大学教育学部を卒業後、アサヒビールに入社。2013年同社専務、2015年副社長を経て、2016年3月からアサヒビール社長に就任。(撮影:竹井 俊晴、ほかも同じ)

戦後、日本の経済史における代表的なヒット商品の一つに、アサヒビールの「スーパードライ」があります。1987年3月17日に発売されたスーパードライの大ヒットに、実は宅急便が一役買ったと聞きました。

平野社長(以下、平野):本当です。小倉さんの宅急便があったから、スーパードライはヒットできたのです。

 スーパードライが発売される前年の1986年の8月、(新商品開発や既存商品のブランド管理を担う)マーケティング部が増員されました。主に営業部門から若手が集められたのです。1979年入社の私はこの時、入社7年目。それまでは東京支店営業推進課に所属し、都内の百貨店と飲食チェーンの営業に従事していました。群馬で営業をしていた菊地史朗(後に、アサヒ飲料社長)先輩も一緒に転勤してきました。

 菊地先輩は、私より5期上。トップクラスの営業マンでした。その菊地先輩が、スーパードライの発売直前に、「画期的なものを見つけたぞ。宅急便だ」と私に言ったのです。

 当時、アサヒビールでは新商品が発売されると、支店の営業マンがライトバンにサンプルを積んで、お酒屋さんを一軒ずつ訪問して説明していました。「平野、新商品が出ても、すべてのお酒屋さんを回れなかっただろう」「先輩こそ、群馬のような広いテリトリーでは、とてもじゃないけど回りきれないでしょう」。こんなやりとりをしていたのですが、実際に当時、一人の営業マンが説明しながら1日に訪問できるのは、地域によって10~20軒ぐらいでした。

 スーパードライは発売当初、関東地方だけの限定販売でした。1987年当時、お酒は酒販免許を持つお酒屋さんしか販売できませんでした。全国に酒販店は約13万軒あって、関東の一都六県はそのうち3万軒ほど。

 1980年代前半のアサヒは経営状況が厳しく、ちょうどリストラが断行されていました。このため、支店の営業マンも手薄な状況で、今までのように、各支店の営業マンがローラー作戦でお酒屋さんをくまなく回っても、10日から2週間、場合によっては1カ月もかかっていたのです。さらに、営業マンは日常業務と並行してやるので、回りきれずにサンプルが届かない店は必ず出てしまいました。

 そんな時に、菊地先輩が着想したのが宅急便の利用だったのです。3万店もの酒販店にできるだけ早く平等に、商品見本を送るにはどうすればいいのか、先輩は考えていました。

 どんな分野でも、新商品は“初動”が大切です。サンプルを届けるのに2週間もかかっていたら、売れる商品も売れません。そして、マーケティング部の人たちは、そういった営業現場の実態を知りませんでした。

 できる営業マンは、どうしたら課題を解決できるのか、いつも考えています。そして創意工夫を怠らない。営業マン時代から先輩は、新商品が出た時にどうしたらいいのか、考え続けていたのだと思います。ほぼ同じタイミングで、小さなお店にもサンプルを届けることで、酒販店のモチベーションは間違いなく上がります。

 菊地先輩の提案は採用され、私たちはスーパードライの瓶と缶を1つずつ箱に詰め、新商品の説明書を沿えて、3万店に送りました。営業マンが酒販店を訪れた時には、もうスーパードライが届いていますから、説明もやりやすい。

 宅急便を利用した作戦は成功し、スーパードライは発売直後、好調なスタートを切ることができました。

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