経営者がゴールを決めて過程は現場に任せるべき
オイシックスドット大地高島社長が取り入れた小倉哲学(前編)
宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。
ヤマトグループは小倉氏が去った後も、氏の経営哲学を守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年7月、小倉氏の後のヤマト経営陣が、カリスマの経営哲学をどのように咀嚼し、そして自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。
本連載では、ヤマトグループとは関係のない外部の経営者たちが、小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約19年。小倉氏の思いは、どのように「社外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのだろうか――。
発売から約19年経った今も長く読み続けられている『小倉昌男 経営学』
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2017年夏に出版した小倉氏の後の経営者たちの物語『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』
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2000年6月にオイシックスを設立し、ネット通販サイト「Oisix」を立ち上げ、最初は生鮮食品20品目の販売からスタートした同社。その後、オイシックスは「ふぞろい野菜」の販売や定期購入サービス「おいしっくすくらぶ」など、個人向けのネット食品宅配サービスで新しい付加価値を生み出し続けてきた。高島宏平社長はオイシックス創業以来、同社を率い続けてきた。2017年10月には大地を守る会と経営統合し「オイシックスドット大地」の社長に就任。そんな高島社長が、折に触れて思い返してきたのが、小倉昌男氏の姿だったという。小倉氏の姿から、何を学んできたのか。
高島宏平(たかしま・こうへい)
1973年生まれ。1998年に東京大学大学院工学系研究科を修了後、マッキンゼーに入社。2000年に退社し、オイシックスを設立。2013年に東証マザーズに上場。2017年にはオイシックスと大地を守る会が経営統合し、オイシックスドット大地の社長を務める(撮影:竹井 俊晴、ほかも同じ)
『小倉昌男 経営学』の初版が出版されたのは1999年10月。その後、版を重ねていますが、高島社長はいつ頃この本と出合いましたか。
高島社長(以下、高島):当社は2000年に創業し、最初の4年から5年は、潰れるのではないかという苦しい状況が続きました。相当、辛かったんですね。その苦しかった時期に、この本に出合ったんです。当時は経営者の本ばかりではなく、ドラッカーをはじめ、経営に関連する本もたくさん読みましたね。
最初に読んだ印象は。
高島:小倉さんはすごく闘っていたんだな、というのが最初の印象でした。ほかに類似書のない生々しい内容ですので、すごく響きましたね。これまでに5~6回は読み返しています。私は、いい本は繰り返して読む癖があるんです。社員にも読ませようと考えていて、社内にはおそらく10冊くらいあって、社員が自由に読めるようにしてあります。
ヤマト運輸と当社では業種が全く異なります。けれど、本質的な部分はさほど遠くはない。特に、ビジネスの力で社会を良くしていこうとしている点は非常に似ている。社会インフラをつくり、それに対して “よく頑張ったね”と社会に言ってもらえる。これが会社の利益になっている構造はやはり近いのです。
同時に小倉さんも私も、いろいろなことを参考に学んでいるという点も近いなと思いました。
確かに小倉さんは、吉野家の牛丼のビジネスモデルからヒントを得たとも明かしています。
高島:吉野家の牛丼を見てメニューを絞った業態開発を着想したり、ニューヨークの交差点にUPS(ユナイテッド・パーセルサービス=米国の運送会社)の車が4台停まっているのを見て、車輌単位の損益分岐点を考えたりと、小倉さんの姿勢に学ぶべき点は多い。日常の中から、多くのことを学ばれていたのでしょう。
小倉さんのスタイルは、最初に社会がどうあるべきかを考え、次にそれを実現すべき方法を考えていく。つまり何が社会にとって正解なのかを決めてから、正解に向けた方法を探って行動していく。とても逆算的です。最初に正解を決めてしまえば、意思決定から迷いが消えます。その手法はとても参考になりますね。
同時に、最初に読んだ時に強く感じたのは、小倉さんの精神面の強さです。決して挫けない。鈍感力、とでも言うのでしょうかね。
小倉さんにはいいチームがあった
経営者になる前は、『小倉昌男 経営学』を読もうとは思わなかったのですか。
高島:経営者じゃなかったときには、読もうとは思いませんでした。けれど会社を立ち上げた当初は、会社が本当に潰れそうになって、リアルに追い詰められていましたから。そんな中で小倉さんの本に出合って、初めて読んだ時は、宅急便を始める前後の小倉さんはきっと、経営者としてとても孤独だったのだろうな、と思いました。
けれど何度か読み返すうちに、感想が変わってきたんですね。孤独ではなく、小倉さんにはすごくいいチームがあったんだろう、と。小倉さんは、「サービスが先、利益は後」と書いていますよね。会社のトップがこう言い切れるのは、おそらく財務部門などに優秀な人がいたんだろうな、と今は思えるようになったんです。財務などの優秀な人たちがチームになって、緻密な計算をしていたからこそ、“いける”と踏んだのではないでしょうか。
ですから、まだ何も知らない人が、この本を読んで小倉さんの真似したら、きっと失敗するでしょうね。書かれていることをそのまま文字通り鵜呑みにしたら、とても危険だとも思います。
小倉さんは本の中で、「全員経営」という言葉もよく使っています。社員一人ひとりの可能性を信じて、ミッションを与えて頑張って働いてもらっている。きっとこれは、現場のセールスドライバーはだけではなく、本社にいる社員も含めて、そうしていたのだと思います。
そうした中で、例えば財務のキーパーソンなども実在していた。けれど、この辺を書いてしまうと本としての面白さが失せてしまうので、敢えて書かれなかったのではないかな、なんて勘ぐっています(笑)。
原発事故後の対応に生きた小倉哲学
先ほど、小倉さんは「あるべき社会の形」から逆算している、と指摘していました。こういった部分は高島社長も影響を受けて、自身の経営に生かしているのでしょうか。
高島:小倉さんのアプローチには2面あると思います。
一つは、組織のトップとして「あるべき未来」から逆算するやり方。もう一つは、現場の力や声を生かして少しずつ改善する方法です。クール宅急便やゴルフ宅急便、スキー宅急便などは、小倉さん本人が着想したのではなく、現場の人たちがつくり上げていきました。
経営者として大きなゴールを設定する一方で、ゴールまでのプロセスは現場の力をうまく引き出して活用していた。ゴールは経営トップが決めて、その過程では現場力を生かす。これが小倉さんの経営手法の特徴でしょう。
ここの点を、私は参考にしています。例えば、東日本大震災の原発事故後、私は風評被害を受けている野菜と果物は、すべて当社が独自に放射性物質の線量検査を実施すると決めました。原発事故から1週間後のことです。
まずはとにかく検査をすると決断してから、その後で、どのようにやるかを考えました。「できる範囲でやる」のではなく、「全部をやる」。全量検査しなければ意味がないと思ったのです。こういった決断は、経営トップでないと下せません。しかし具体的な検査方法はどんどん改善されていく。ですからここを担うのは、現場のスタッフたちです。
トップがゴールを定めて、現場が創意工夫を重ねていく。これは企業経営の両輪であり、私はそれを小倉さんから学びました。
得意じゃないことは、人に任せればいい
経営者やマネージャーの中には、社員や部下に仕事を任せられないと悩む人も多いようです。
高島:何のために権限を委譲するのかと言えば、経営者がやりたくはないことでも、進化を起こすためだと私は思います。経営者が自分でやりたい、あるいは自分は得意だと考えている領域は、自分でやればいい。まさに、やりたいことをやる、わけです。
だけど人間は万能ではないから、自分が得意でなかったり、自分はあまりやりたくなかったりすることもある。それは別の誰かに権限を委譲して進めていく。得意な人、やりたい人が、得意なことを仕事にするのは、全然ありだと思っています。
高島社長の得意なことは何でしょう。
高島:最近の取り組みで言えば、「キットオイシックス」。これは主菜と副菜を20分で調理できる食材セットですが、私が考えました。世の中に新たな価値のある商品やサービスを生み出すことは、比較的好きですし、得意でもあります。
一方で不得意なのは、例えば毎年秋口から大きく売り出しているおせち料理。米国の食料品チェーンで多彩な食材を扱う「ディーン・アンド・デルーカ」とコラボしたりして、毎年改良を重ね、人気も出ています。ただ改良を重ねてブラッシュアップしたりする作業は、あまり好きではないし、得意でもないんです。
既にある商品を、改良を重ねて磨きながら、売り伸ばしていくのが、どうも得意ではないようです。きっと私が飽きっぽいからでしょうね。世の中に新しい価値を提供することは得意で好きでもあるけれど、旧来の価値をより良くしていく仕事は、もう任せています。おせちチームをつくって、毎年内容を良くしていって、売り上げもどんどん伸びている。それでも私はやらない。
おせちを含め、「既にある商品」は当社のメーンビジネス、言い換えれば“本業”でもある。こうした部分は、やりたい社員にどんどん自由にやってもらう。一方で私は、先ほどの放射性物質の検査だったり、新しい部分、つまり未来の売り上げを担当する。
1を10にするのが難しい
根っからのアントレプレナーですね。ゼロから1を生むのが好き、という。
高島:ただゼロを1にできる人は、結構いるんじゃないかと私は思っています。けれど、1を10にできる人は意外と少ない。ゼロを1にした後、そのまま放っていると、1.1や1.2で終わってしまいます。
ベンチャーの場合、アイデアは秀逸でも、その事業を大きくする時に、組織化できずにつまずくケースは多いですね。
高島:できたサービスを、特殊な人ではなく、一般の人に売っていく。この売る力の部分でつまづくベンチャーは多いように感じています。
けれど小倉さんの場合、宅急便のビジネスモデルでは全国展開が大前提でした。ゼロを1にするだけではダメで、1を100にしないと黒字化しないことが、最初から条件になっていた。
この1を100にする、つまり採算ラインを超えるのに、5年ほどかかっています。1976年1月に宅急便を始めて、採算ラインを超えたのは1981年3月期。1981年には、全国ネットの完成を盛り込んだ「ダントツ3カ年計画」を発表しています。そして1990年3月末には全国のカバー率が99.5%に達した。長期間かけてやり抜いたところがすごいですよね。
宅急便を港区だけで成立させるのだったら、小倉さんでなくともできたでしょう。けれど全国を見据えていた、そのスケールの大きさも、やり抜く力と並びやはりすごかったと感じています。
(後編に続く)
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