宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。
ヤマトグループは小倉氏が去った後も、氏の経営哲学を守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年7月、小倉氏の後のヤマト経営陣が、カリスマの経営哲学をどのように咀嚼し、そして自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。
本連載では、ヤマトグループとは関係のない外部の経営者たちが、小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約19年。小倉氏の思いは、どのように「社外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのだろうか――。
生え抜きの日本人として初めてネスレ日本の社長兼CEO(最高経営責任者)に就き、同社を率いてきた高岡浩三氏。それまでも高岡社長は、「キットカット」などを扱うネスレコンフェクショナリーの社長として、キットカットの売り上げを伸ばしてきた。ネスレ日本の社長に就任した後も多様なマーケティング戦略で同社の存在感を高めてきた。その高岡社長が尊敬する経営者が小倉昌男氏だ。

1960年、大阪生まれ。神戸大学経営学部を卒業後、1983年にネスレ日本に入社。営業本部などを経験し、ネスレコンフェクショナリー(かつてネスレ日本の子会社として存在していた製菓会社)に出向。同社のマーケティング本部長、社長、ネスレ日本の飲料事業本部長などを経て、2010年11月にネスレ日本の社長兼CEOに就任する(撮影:水野 浩志、ほかも同じ)
高岡社長はこれまでネスレコンフェクショナリーの社長やネスレ日本の社長を務めてきましたが、活動の原動力となってきたものは何でしょう。
高岡社長(以下、高岡):私はたまたまラッキーだったことが一つあるんです。自著の『逆算力 成功したけりゃ人生の〆切を決めろ』にも書いていますが、私の父も祖父も、たまたま早くに亡くなっています。だから私も、きっと寿命は短いだろうと思って生きてきました。
その一方で、実現したい夢もありました。生きている間に自分がやりたいことを達成するには、できるだけ高いポジションに就かなくてはならないと思っていたんです。
夢は何だったのでしょう。
高岡:ブランドの力で、いかにたくさんの人を幸せにできるかということです。私の学生時代には、みんながこぞって高級車に乗りたがったり、高価な有名ブランドのバッグを持ちたがったりしていました。それがとても不思議で、同時に魅力的でもあった。ブランドに魅了されて、ブランドの力でもっとたくさんの人を幸せにできる仕事に就けたらいい、と思っていたんです。
そんな志があったから、単にすごろくゲームの上がりのような感じで社長になりたいとは考えていなくて、社長というポジションで自分の夢を形にしてみたいと思っていたんです。
前編(詳細は「小倉昌男が障がい者支援で描いた夢」)の最後に触れましたが、社長の“賞味期限”をどう見極めるか。これについて私は、どうしても実現したいという強いモチベーションがあって、どうやったら勝てるかということが分かっているうちは、年齢に関係なく社長を続けていいんじゃないかと思っています。ですから自分の中でも、「何歳で終わり」などと決めているわけではありません。
もちろんサラリーマン経営者ですから、ネスレ本社から「お前はもういいよ」と言われたら、いつでも辞めようとは思っています。ただネスレ本社も「いくつになったら社長から退いてほしい」などとは考えていないようです。
繰り返しますが、自分の中で、ネスレ日本を舞台にやりたいということがある間は社長を続けるけれど、そうでなくなったら多分、続けない。そして、今はまだその強い思いがあるんです。
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