小倉昌男が障がい者支援で描いた夢
ネスレ日本の高岡社長が小倉氏から学んだもの(前編)
宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。
ヤマトグループは小倉氏が去った後も、その哲学を大切に守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では2017年、小倉氏以降のヤマトグループの歴代経営陣が、カリスマの哲学をどのように咀嚼し、自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。
本連載では、外部の経営者たちが小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約18年。小倉氏の思いは、どのように「外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのか――。
発売から約19年経った今も長く読み続けられている『小倉昌男 経営学』
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2017年夏に出版した小倉氏の後の経営者たちの物語『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』
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2010年11月、生え抜きの日本人として初めてネスレ日本の社長兼CEO(最高経営責任者)に就き、同社を率いてきた高岡浩三氏。それまでも高岡社長は、「キットカット」などを扱うネスレコンフェクショナリーの社長として、キットカットの売り上げを伸ばしてきた。ネスレ日本の社長に就任した後も多様なマーケティング戦略で同社の存在感を高めてきた。その高岡社長が尊敬する経営者が小倉昌男氏だ。
高岡 浩三(たかおか・こうぞう)
1960年、大阪生まれ。神戸大学経営学部を卒業後、1983年にネスレ日本に入社。営業本部などを経験し、ネスレコンフェクショナリー(かつてネスレ日本の子会社として存在していた製菓会社)に出向。同社のマーケティング本部長、社長、ネスレ日本の飲料事業本部長などを経て、2010年11月にネスレ日本の社長兼CEOに就任する(撮影:水野 浩志、ほかも同じ)
高岡社長は、様々な場所で尊敬する経営者に小倉昌男氏を挙げています。
高岡社長(以下、高岡):どこで話したのかは覚えていないけれど、しょっちゅう言っていますね。実際に小倉さんとの面識はないんですが。
私はネスレコンフェクショナリーの社長に就いた頃から、経営というものに直接触れ、色々と考えるようになりました。日本の場合、やはりオーナー創業社長がイノベーターであって、ほかは大半がサラリーマン経営者なんですね。私はサラリーマン経営者だけれど、いかにオーナー経営者のような考え方を持ってイノベーションを起こすべきかと常に意識してきました。
日本の名だたる経営者を振り返ると、皆さん創業社長やオーナー経営者で、サラリーマン経営者はほとんどいません。それはなぜかと言うと、『ヤマト正伝』にもあったように、イノベーションを起こすことはやはり社長の仕事であり、それも創業社長やオーナー経営者でないと難しい面があるからです。
そういった中で、サラリーマン社長であっても、何とかオーナー経営者的な発想や考え方でイノベーションを起こしたい。そんな経営者になり、さらには、そういう経営者を育てる仕組みもつくりたいと考えていました。
そんな時に小倉昌男さんの書いた『小倉昌男 経営学』を手に取ったわけです。当時、小倉さんはもうカリスマ経営者として高い評価を受けていましたし、小倉さんの跡を継いだ経営者の方々も、ヤマトグループの考え方を守りながら社業を発展させていました。その点で私はヤマト運輸をリスペクトしていました。
初めて『小倉昌男 経営学』を読んだ時の印象は。
高岡:実は、小倉さんにも意外とサラリーマン社長に近いところがあったんだ、と驚いたんですね。象徴的なのが引き際です。小倉さんは現役時代、宅急便を生み出して日本人の生活を一変させた。普通のオーナー経営者でも成し遂げられないようなイノベーションを起こしたわけです。それなのに63歳になるとすぱっと辞めて、第二の人生として障がい者支援に携わるようになった。まるでサラリーマン経営者が任期を終えて表舞台から去るように、あっさりと身を引かれたわけです。その姿にはとても衝撃を受けましたね。
一方で、最近になって私は、なぜ小倉さんが宅急便とはまったく畑違いの障がい者支援に、第二の人生を投じたのかという点について、何となく理解ができるようになったのです。
小倉さんはイノベーションを楽しんでいた
小倉昌男さんはなぜヤマト運輸から去った後、障がい者支援に携わったのだと思いますか。
高岡:小倉さんが障がい者の自立と社会参画を目指して展開した「スワンベーカリー」を、多くの人は慈善事業だと捉えているのではないでしょうか。宅急便とはまったく関係ない事業ですから、確かに唐突に映ります。私も長い間、きっと慈善事業なんだろうなと思っていました。
けれどある時から、もしかすると小倉さんは、障がい者の人々にベーカリー店を運営してもらうことに、彼なりの次の祖業を見いだしたのではないかと思うようになったんです。つまり小倉さんは宅急便とは別のまったく新しいイノベーションを起こそうとしていた。
障がいを持つ人やその家族を支援したいだけならば、寄付をすればいいわけです。それなのに小倉さんは、普通なら到底思い付かないような、障がい者の人々がしっかりと働いて、その対価をもらえるベーカリー店を日本に広めようとした。日本を根底から変える新しいイノベーションを、再び起こそうと挑戦されていたのではなでしょうか。
高岡社長がそう考えるようになったきっかけは何でしょう。
高岡:最近になって、人手不足が深刻だと言われていますよね。多くの経営者がいかに人を集めるかということに頭を悩ませています。けれど私は、これは違うんじゃないかなと感じています。経営者が本当に考えなくてはならないのは、その先に訪れる「人余り」の時代についてです。
AI(人工知能)やロボットが普及すれば、きっとホワイトカラーの仕事はこの先、大幅に減ってしまいます。それなのに、多くの企業は目の前の人手不足を恐れて、何とか新卒を採用しようと四苦八苦している。その点、最近私が着目しているのは、ほかの会社で定年退職したシニア層です。
これから先、さらに人間の寿命が伸びると、60歳や65歳で退職しても皆さんまだまだ元気です。同時に自分の親の世代など老老介護の問題も抱えるようになる。仮にしっかりと退職金をもらって定年できても、財政面で苦労をするケースも出てくるはずです。「まだ働き続けたい」と思うシニア層もさらに増えるでしょう。かといって、再就職先はなかなか見つからないのが現状です。つまり既に30年近く働いて多様な経験を積んだシニア層が、これまでよりも簡単に採用できるようになっている。多くの企業はその存在に気づかず、若い労働人口ばかりを取り合っています。それよりも皆さん、まだまだ元気なシニアの力を生かせばいい。
小倉さんも同じように、元気で生きがいを求めている障がい者の人々と出会って、彼らが社会で活躍できるのだということを、スワンベーカリーを通して実証しようとしたのではないでしょうか。
実はこれは極めてマーケティング的な発想なんです。新しい現実に直面した顧客の問題を、どのように解決するかということですから。小倉さんは問題を見抜く力に優れていた。それはイノベーションを起こす力でもあります。
イノベーションを起こせる人材を育てる
小倉さん以降のヤマトグループの経営者は、その発想を引き継いできたのでしょうか。
高岡:小倉さんがつくった宅急便は、それまで世の中に存在しなかったものです。ですからこれを生み出したことは、間違いなくイノベーションと言えるでしょう。けれど、宅急便の後に生まれたゴルフ宅急便やクール宅急便は、「リノベーション」であって「イノベーション」ではありません。
つまり、あんなに立派なヤマト運輸でさえ、小倉さんが去った後は、本当の意味でイノベーションを起こすのが難しくなっていった。それくらいイノベーションとは生み出すのが大変なものなのです。
そんな中でも、私は経営者としてネスレ日本でイノベーションを起こせる社員を育てていかなくてはなりません。そこで「イノベーションアワード」というものをつくったんです。
開めた当初は、それぞれの社員が一人で顧客の問題を見つけて、ソリューションを考え出し、小さな規模でテストをできるようにしました。その過程でリーダーシップや周りの人間を説得して協力させる力など、イノベーションを起こすために必要な要素を学んでもらったのです。このイノベーションアワードで1等を取ったアイデアは、この7年の間に売り上げと利益に貢献するようになってきています。つまりイノベーションを起こせる人材が少しずつ育つようになってきた。もちろんまだまだ3合目や4合目ではあります。それでも少なくとも、「成功の芽」は出てきています。
自分の賞味期限をどう見極めるか
高岡社長が最初に『小倉昌男 経営学』を読んだ当時の感想と、長く経営トップを務めた今だからこそ感じる点に違いはありますか。
高岡:最近感じるのは、自分自身の賞味期限についてです。小倉さんはご自分で、63歳を社長の定年としました。これは多分、自分の賞味期限を考えていらしたのではないでしょうか。
長く経営トップを務めると、自分の賞味期限について考え始めるものなのでしょうか。
高岡:当然考えますし、経営者たるもの、常に考えていなくてはならないとも思います。日本のサラリーマン社長の場合、就任した当初から4年や6年に任期が設定されています。ですから自分の賞味期限などは考えないのかもしれません。その点、オーナー経営者の場合は、最低でも10年以上トップを務めますし、それが普通です。すると、どうやって自分の引き際を見極めるのかというのは、常に付いて回る問題でしょう。
私の場合、ネスレコンフェクショナリーとネスレ日本という2つの会社で経営トップを務めて13年になります。あと2年強もすれば、ネスレ日本の社長だけでも10年務めたことになります。優秀な業績を残した世界の経営者を見ると、平均で10年間ぐらいは社長をやっていますから、それ自体は決して長くはありません。
高岡社長は、自分の引き際をどのように考えているのでしょう。
高岡:私は1度でも売り上げや利益の目標を達成できなかったら辞めようと考えています。やはり人間ですから、自分の賞味期限を見極めるのはとても難しい。何をもって判断すればいいのか分かりませんよね。だからこそ、設定した目標が達成できないことを一つの目安にすべきだと思うんです。それしかないのではないかな、とも。
小倉さんはもう亡くなられたので、なぜ63歳で社長を退いて、会社を次の世代に託そうと思われたのか、聞きたくても聞くことができません。ただきっと、このまま自分が社長を続けても新しいものが生まれてこないと考えたのではないでしょうか。であれば、次の人に会社を託そうと思われた。仮に自分の存在が次の世代にとってマイナスになるようなら、会社に顔を出すこともやめようとされた。そんなふうに考えたのだと思います。
私も掲げた目標が達成できなくなったり、仮に業績が悪化してもそこから好転する方法が分からなくなったりした時が、一つの潮時であり、自分の賞味期限だと思います。あともう一つ、自分の中でやりたいことがなくなった時というのもあるでしょうね。こんな新しいことに挑戦しよう、こんな新しい顧客の問題を解決しよう、と思えなくなると、それは経営者としてのモチベーションが下がっていることでもありますから。
ただ幸い私は、これまでそんなふうに思うことが一度もありませんでした。背景には私の原動力になった、ある思いがあります。後編ではその辺りから、話を進めましょう。
(後編に続く)
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