宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。
ヤマトグループは小倉氏が去った後も、氏の経営哲学を大切に守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では今年7月、小倉氏の後のヤマト経営陣が、カリスマの経営哲学をどのように咀嚼し、そして自身の経営に生かしてきたのかを、1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。
本連載では、ヤマトグループとは関係のない外部の経営者たちが、小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約18年。小倉氏の思いは、どのように「社外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのだろうか――。
個人向けの自動家計簿・資産管理サービスを提供するマネーフォワードは、9月29日に東証マザーズに上場した。同社を率いる辻庸介社長CEO(最高経営責任者)は大の読書家でもある。多数の経営書やビジネス書を読んできたが、その中で最も感銘を受けたのが『小倉昌男 経営学』だという。「すべての人のお金のプラットフォームになる」と掲げる辻社長は、小倉昌男氏からどんな影響を受けたのか。
辻 庸介(つじ・ようすけ)
1976年、大阪生まれ。京都大学農学部を卒業後、米ペンシルバニア大学ウォートン校MBA修了。ソニーとマネックス証券を経て、2012年にマネーフォワードを設立。新経済連盟の幹事や経済産業省FinTech検討会合の委員なども務める。2017年9月29日、マネーフォワードは東証マザーズに上場した(撮影/的野 弘路、ほかも同じ)
辻社長は読書家だと聞きます。日頃から膨大な書籍を読む中でも、『小倉昌男 経営学』を愛読しているそうですね。
辻社長(以下、辻):この本は大好きですよ。何度も読み返しています。
初めて読んだのはもう10年くらい前でしょうか。私は大学を卒業した後でソニーに入社しました。ソニーを選んだのは、盛田昭夫さんの「自由闊達にして愉快なる理想工場」という考えに感銘を受けたためでした。
実際、私が入社した当時にも盛田さんのその雰囲気は残っていて、みんなが自由で、色々な方向を向いていました。それは組織論として考えると、ソニーの強みでもあるし弱点にもなり得ます。経営環境次第では、社員みんなが同じ方向を向いて突き進む方が組織の強さが生きることもありますから。
その点で、ソニーはまとまっていないかもしれないけれど、その自由さが多様なイノベーションを生んでいた。みんなが好きなことをやっている会社だったけれど、それが強さになっていたのです。
もちろん経営者にとって、「これさえあれば大丈夫」という要のようなものはなくて、経営トップの考え方や競争環境、働く人の労働状況といった多様な要因で、企業はその時々、振り子のように揺れるものです。一度、ある方向に大きく振れれば、その後は逆の方向に向かっていく。常に揺らいでいるものなのです。
けれど、なぜかヤマトグループには一本背骨のようなものが通っている。グループ全体でおよそ20万人の社員がいて、第一線のセールスドライバーはみんな自発的に動いているのに、なぜかみんなヤマトらしい。それこそ東日本大震災の時の対応も立派でしたよね。
震災直後、本社と連絡が取れない中でも現場のセールスドライバーは自分で考え、自発的に荷物を運び始めました。
辻:それぞれの社員が自分で何をすべきか考えて動いている。あれはまさに理想です。
どの会社でも経営トップは企業理念を掲げて、自分の会社がどんな社会的使命やビジョンを持ち、何のために働くのかを伝えようとします。この大きな命題さえ掲げれば、社員がそれを深く理解し、一人一人が「今の状況ならどうすべきか」と考えて、動ける状態は、経営者の理想だと思います。
ヤマトグループはあんなに大きな組織なのに、それが実現できている。会社は大きくなるとどうしても官僚的になりがちです。それはもう人間の宿命なので仕方はない。それなのにヤマトは違う気がするわけです。そんな印象があったので、その理由を知りたくて『小倉昌男 経営学』を手に取りました。
『小倉昌男 経営学』はパッションとロジックが最高レベル
実際に読んでどのように感じましたか。辻社長もその後、マネーフォワードを立ち上げますが、『小倉昌男 経営学』で知ったことは、ご自身の経営に役立ちましたか。
辻:ちょっとレベルが違い過ぎますよね、小倉さんと私では。だって、かつて民間の運送会社が担う荷物のやり取りといえば企業間のものしかなかったわけです。企業間で、ある場所からある場所に、しかもある程度の荷量が確保されている中で、それを動かすのが運送会社の仕事だった。
そんな時代に、民間企業が個人間の荷物のやり取りを担おうと考えたわけです。個人間のやり取りですから、1人の荷主から出る荷物はおよそ1つ。それも、どこからどこへ運ぶのかは事前に分からない。
そもそも、そんなサービスを、商売として成立させようと考えたのがすごいですよね。普通は発想さえしないはずですし、たとえ個人間の荷物のやり取りに着目しても、実際に形にはできません。そして、誰もが無理だと思っていたから参入していなかったんでしょう。
けれどこの本には、普通なら「無理だ」と感じる課題を乗り越えていく様子が克明に描かれている。個人の荷主からどうやって荷物を集めるのか、どんなネットワークをつくるのか、採算はどのように確保するのか。数々の課題を小倉さんは一つずつ解決していく。
一方で、本書の中で小倉さんは、「サービスが先、利益が後」という名言も残しています。この言葉は非常にロジカルで、課題解決の方法についても基本的にはすべて理詰めで進めている。つまり『小倉昌男 経営学』には、最高レベルのパッションとロジックが詰まっている。
思考が深くて、誰も考えないことを発想して実行するわけです。時には役員が全員反対しているにもかかわらず、宅急便事業へ舵を切ったり、時には国を相手に異を唱えたりする。私もそうありたいと思いますが、役員が全員反対していたら、さすがに無理かなと思ってしまいます。
経営者にとっては、パッションもロジックも重要でしょうが、どうしてもどちらかに偏ってしまいがちになるような気がします。
辻:私も今日はすごいロジック派でいけたなとか、今日はパッションで突っ走ったなとか、日によって変わります。経営にはパッションとロジックの両方が必要です。ビジネスといっても結局は人が相手なので、ロジックだけでは動かせない。けれどパッションだけでも現場が疲弊してしまいます。どのようにバランスを取るのかがとても重要なのです。
それなのに、小倉さんは「宅急便を展開して、個人が送った荷物が翌日に届く世の中にする」と掲げるわけです。そういう世界を作るんだという情熱も素晴らしいのですが、現在目の前に存在しないものを必要だと信じて、それができた世界がどうなるかを想像し、そして形にするすさまじい能力もある。戦後、日本の大先輩がやってきたことの代表格が小倉さんなのだと思います。
経営トップにしか、事業をやり遂げることはできない
宅急便を思い描くことや、課題を解決すること、実現すること。『小倉昌男 経営学』にはそのすべてが描かれていますが、経営者として最も共感するのはどんな部分でしょう。
辻:小倉さんは描いたことをすべて実現していますよね。ビジネスを形にするには、課題をしらみつぶしに出して、解決策を考えて、実際にやり切る必要があります。このうち課題を挙げたり解決策を考えたりするのは、外部のコンサルティング会社でもできるでしょう。けれど、実際にやり切ることは経営者にしかできません。
それも宅急便の場合、たくさんの人を巻き込む必要がある。日本中にセールスドライバーを配置する必要があるわけですから。それと比べると、私たちのようなサービスを作る仕事はまだラクなのだと思います。当社の社員数は、まだ200〜300人規模ですから。
小倉さんは、企業の本質を語っていた
辻:マネーフォワードの行動指針は3つあって「User Focus」「Technology Driven」「Fairness」です。この中でも「User Focus」と「Fairness」はヤマトと近いかな、と感じています。
そしてこの中でも私は「User Focus」を何より重要にしています。言い替えれば「お客様第一」「ユーザー第一」ということです。利用者のために私たちはサービスを提供している。その点では、ヤマトは「顧客第一」を軸にしていますし、組織図でもセールスドライバーを一番上に置いている。あれは本当に素晴らしい。
ヤマトグループでは現場で働く人々を「第一線」と言います。
辻:小倉さんは、本当に彼らの存在が大切だと感じていたのだと思います。単なる小手先の表現ではなく、心の底からそう感じているから、セールスドライバーが最も上に来る組織図が描けたのでしょう。
経営者の中には、社員が増えると人件費も増えると警戒する人も多いはずです。必要以上に人件費がかさめば経営を圧迫しますから、その気持ちも理解はできます。けれど小倉さんはそうではない。企業は何のためにあるのかを、突きつめて考えているんです。
社員が利益を生んでくれているから会社が存在している。企業のすべき業務を遂行するには人を雇う必要がある。そして企業というものは人を雇い、増やすことが本質だと考えている。なかなかその境地に至る経営者は少ないのではないでしょうか。
(後編に続く)
Powered by リゾーム?