宅急便の生みの親にして、戦後有数の名経営者・小倉昌男氏。彼の自著『小倉昌男 経営学』は、今なお多くの経営者に読み継がれている。

 ヤマトグループは小倉氏が去った後も、その哲学を大切に守り、歴代トップが経営に当たってきた。日経ビジネス編集部では今年7月、小倉氏以降のヤマトグループの歴代経営陣が、カリスマの哲学をどのように咀嚼し、自身の経営に生かしてきたのかを1冊の書籍『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』にまとめた。

 本連載では、外部の経営者たちが小倉昌男氏の生き様や経営哲学にどのような影響を受けてきたのかを解き明かす。『小倉昌男 経営学』の出版から約18年。小倉氏の思いは、どのように「外」の経営者たちに伝わり、そして日本の経済界を変えてきたのか――。

発売から約18年経った今も長く読み続けられている『小倉昌男 経営学』
発売から約18年経った今も長く読み続けられている『小倉昌男 経営学』
2017年夏に出版した、小倉氏“以降”の経営者たちの物語『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』
2017年夏に出版した、小倉氏“以降”の経営者たちの物語『ヤマト正伝 小倉昌男が遺したもの』

 ワンコイン(500円)で自己採血によるセルフ健康チェックを行うという前例のないベンチャー・ケアプロを2007年12月に立ち上げた川添高志社長。前編で川添社長は、小倉氏の規制と闘う姿勢に勇気をもらったと明かした(詳細は「小倉昌男に学んだ『規制の壁の先にある希望』」)。

<b>川添高志(かわぞえ・たかし)</b><br /> 1982年兵庫県生まれ、横浜市育ち。2005年慶応大学看護医療学部卒業。看護師・保健師。大学在学中に米国で「Retail Clinic」という業態を知る。経営コンサルティング会社、東京大学病院などでの勤務を経て、2007年12月に起業。ワンコイン検診などを実施するケアプロを経営している(撮影/的野 弘路、ほかも同じ)
川添高志(かわぞえ・たかし)
1982年兵庫県生まれ、横浜市育ち。2005年慶応大学看護医療学部卒業。看護師・保健師。大学在学中に米国で「Retail Clinic」という業態を知る。経営コンサルティング会社、東京大学病院などでの勤務を経て、2007年12月に起業。ワンコイン検診などを実施するケアプロを経営している(撮影/的野 弘路、ほかも同じ)

「小倉さんも私も、父の背中から学んだ」

経営者、中でもアントレプレナー(起業家)は孤独だとよく言われます。しかも川添社長のビジネスモデルは先行事例がありません。フロントランナーという点では小倉氏と共通することもあるかと思います。

川添社長(以下、川添):小倉さんはかなり孤独だったと思います。自著『小倉昌男 経営学』によると、創業者であるお父様は最後の方で事業がうまくいかなくなっていく。

戦前に「大和便」と呼ばれる小口積み合わせ、輸送で関東一円にネットワークを築いて、お父様であり創業者の小倉康臣さんは大きな成功を収める。ところが、ローカル輸送という過去の成功体験にとらわれて、東京と大阪を結ぶ長距離輸送ではライバルの参入に乗り遅れてしまいます。

川添:戦後、日本の道路事情は一変し、同時にトラックの輸送性能も急速に向上していきました。本来ならば長距離輸送に事業を転換しなければならなかったのに、創業者はなかなか踏み切れなかった。経営環境が厳しさを増す中、小倉昌男さんは、乾坤一擲で宅急便を開発していきます。

 ご本人としては、ちゃんと会社を建て直すことに集中していったのでしょう。属人的な立場を捨て、会社を継続させるために経営者としてどうしたらいいのか、とても難しい経営の局面の役割を務められました。

小倉昌男さんは1971年、病気で倒れた創業者の康臣さんに代わって社長に就きます。46歳の時のことでした。父と子の関係は、経営者に良くも悪くも影響を与えたはずです。

川添:私の父は経営者ではなく、大手スーパーのダイエーに勤めていました。ただ小倉さんが創業者である父・康臣さんの背中から何かを学んだように、実は私も、父の背中から大きなものを学びました。

 というのも、私の父は必ず成功すると信じて、ダイエー創業者の中内㓛さんについていきました。ところがバブル崩壊後の1990年代後半に、突如としてリストラされてしまったのです。その時、私は高校1年生。「良い大学を出て大企業に入ったり、官僚になったりしても、決して人生は安泰ではない。であれば私は、社会のためになる事業を起こしたい」と父のリストラをきっかけに考えるようになりました。

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