「これほど巧みな戦略は製薬業界では前例がない。心底ほれぼれする」

 現役時代、歯に衣(きぬ)着せぬ経営者への指摘で機関投資家から支持されていたSMBC日興証券の元アナリストの山本義彦は、手代木をこう評する。

 手代木がこれほどの構造改革を断行した背景には、「退路を断ち、強みに資源を集中しなければ、塩野義の死期は早まる一方だ」との危機感があった。

 経営の中枢に関与するようになった1990年代後半、欧米の製薬業界では既に大型M&A(合併・買収)の潮流が起き始めていた。医薬品だけでなく動物薬や農薬、卸事業や臨床検査サービスなども抱え、企業規模の割には事業モデルが総花的な塩野義は企業価値が一向に上がらない。国内外のライバル企業による買収が脅威として迫っていた。

 「このままでは持たない」

 手代木はそう確信する。とはいえ、巨大製薬会社(メガファーマ)のような資金力はなく、欧米で急成長しているバイオベンチャーほどのスピード感もない。中途半端な企業規模で生き残っていくには、患者が必要とする新薬を作り続けるという、製薬会社としての原点に回帰するしか道はなかった。

 事業売却などの荒療治は社員の痛みも伴った。当然、社内から反発の声が上がった。

 例えば、研究開発領域を絞り込もうとした際、抗がん剤の開発チームが「研究を続けたい」と抵抗した。手代木は「ファイザーに勝てるのか、論理的に説明せよ」と突き放した。

 米ファイザーの抗がん剤チームの人員規模は塩野義の約20倍。仮に塩野義の研究者が世界一優秀でも、20倍の生産性を上げることは不可能だ。理詰めで反発を封じ込めた手代木に不満を抱き、塩野義を去った研究者もいた。

左遷され「情」を知る

 ロジカルな経営を貫く手代木の姿勢は、非情にも映る。しかし、本人はそう思っていないらしい。「従業員は我が子のように無条件にかわいい」と言ってはばからない。

 構造改革だけを見る限り、その言葉はにわかに信じがたい。だが、時をさらに遡ると、「理」の手代木とは異なる、「情」の手代木が見えてくる。

従業員は我が子のように
無条件にかわいい

 まず、手代木の「理」はどのように備わったか。原点は亡き母にありそうだ。手代木は59年、東北電力の技術者である父と、専業主婦の母の元に生まれた。いずれも教育には無頓着で、特に母は「成績が悪いのはあなたの責任。勉強のやり方は自分で考えなさい」と突き放す自己責任論者だった。手代木は自覚していないようだが、とるべき行動を理詰めで考えるようになったのは、母への承認欲求からかもしれない。

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