ただ、当初は交渉の窓口は瀬戸ではなく、ECに詳しいことを理由に会議への同席を頼まれただけだった。しかし、グレンジャー側で交渉に携わったY.C.チェン(現LIXILのチーフ・インテグレーション・オフィサー)は、「他商社も含め交渉相手の中で欣哉はとにかくアグレッシブだった」と言う。

 とはいえ、他部署の案件をあからさまに奪うわけにはいかない。瀬戸は、会議が終わりチェンらがタクシーを拾う際にホテルへの見送りを口実に同乗。「住友商事も他商社も興味を持たないと思う。だが、俺はやりたい」と言い名刺を手渡した。この機転がMonotaRO創業につながった。

病的なほどの当事者意識

 MonotaRO(当初は住商グレンジャー)の創業は2000年で、瀬戸は40歳。創業は苦難の連続だった。

 オフィスは、工具の問屋街がある大阪・立売堀に、「住友」の看板には似つかない、トイレの臭いが漂うような狭い一室を借りた。創業資金として30億円が必要と見積もったが、住商とグレンジャーの出資額は合わせて1億円程度。ネットバブルが崩壊し投資家の目が厳しい中、残りは自力でかき集めた。

 コストを抑えようと、エアコンを効かせたマンションの一室をデータセンター代わりにし、在庫はアパレル倉庫でハンガーにかかる衣料品の下の空間を借りて置いた。想定した顧客は大企業だったが、思うように獲得できない。ネット通販をとりあえず諦め、ファクスで中小企業にチラシを配った。問屋業界からの反発にも遭い、訴訟をしたり、彼らの調達先である韓国や中国に商品を確保しに行ったりした。

 住商に入社してすぐ創業メンバーに加わった金澤祐悟(現LIXILのチーフ・デジタル・オフィサー)は、「リソースが何もなかったから起業家精神が養われた」と言う。

せっかくへばったんだから頑張れ。
頭から血が出るほど考えろ

 「へばったら頑張れ」。困難に直面するたびに恩師・畑の教えを思い出した瀬戸は、鈴木らにも「頭から血が出るほど考えろ」とハッパを掛けた。

 ベンチャーキャピタリストとして瀬戸を支援し続けてきた宮島正敬(現MonotaRO社外取締役)は、「経営者として瀬戸は進化し続けている」と評する。当初は「自分で事業をしたい」という強烈な熱量で組織をけん引したが、ビジネスモデルが確立し06年にマザーズ、09年に東証1部に上場して成長軌道に乗ると、自分がいなくても回る組織に作り変えていった。

 そして創業社長が長く経営に携わるケースが多い中で、瀬戸は12年に社長の座を鈴木に譲った。瀬戸は会長に退き、グレンジャーでMonotaROの事業モデルを米国など他国に展開する要職に就いた。だが飽き足らなかった。MonotaROに愛着はある。一方で、もっと大きい会社の経営に挑戦したいという気持ちが強かった。

 「創業経験があり泥臭い現場もITも分かる。しかも、いい意味で病的なほどの当事者意識がある」

 住商時代から瀬戸を知り、LIXILの潮田に紹介したヘッドハンティング会社・縄文アソシエイツ代表取締役の古田英明は、瀬戸の資質をこう表現する。

 社長就任から2年。瀬戸がLIXILを成長に導けるか、答えは出ていない。招聘当時の指名委員会では、売上高でMonotaROの20倍近く(直近の決算)もある巨大組織を瀬戸が経営できるのか、不安視する見方もあったようだ。

 だが、瀬戸は割り切っている。

 「経営の方向性が違うと言われたら、僕は辞めるタイプ。仕事師なのでね」

 正しいと信じる経営が、社員、顧客、株主、そして創業家の潮田から支持されるか。プロ経営者としての瀬戸の評価は、そこで決まる。

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