国内にも課題がある。LIXILは11年にトステム、INAXなど5社が統合して誕生。サッシ、バス、キッチンで1位、トイレで2位とシェアは高い。だが、組織や事業の整理は不十分で、市場縮小に挑む体制作りが遅れていた。

 「LIXILに行くと聞いて、だいたい賛成する人はいなかった。大変なのは明らかでしょう」。MonotaRO創業時から瀬戸を支え、12年に社長を継いだ鈴木雅哉は当時の心境を打ち明ける。

できないと思われていることを、
できると証明したい。
それが“プロ”だから

 それでも瀬戸は火中の栗を拾った。「できないと思われていることを、できると証明したい。それが“プロ”だから」というのが、その理由だ。

 「プロ経営者」とは、複数の企業を渡り歩く経営者といった意味で使われる。瀬戸も11社を創業してきた。

 だが、瀬戸にとっての「プロ」とはそれだけを意味しない。「世間の常識に流されず、正しいことを考え、実行すること」を指す。「Do The Right Thing」。瀬戸は好んでこの言葉を使う。

父親の教えとバスケの挫折

 それは瀬戸が父親から学んだ反骨心の表れなのかもしれない。

 瀬戸は1960年、サラリーマン家庭の次男に生まれた。小学生時代は大量のバッタを教室に放ち、授業もボイコットする、教師もさじを投げるほど生意気な少年だった。専業主婦の母・鶴子は毎日のように学校に呼び出された。

 それでも瀬戸は、両親に叱られた記憶がほとんどない。特に三菱電機に勤めていた父・光は、「何でも許してくれる存在だった」。だが、優しさ以上に、幾度となく聞かされた話が瀬戸の脳裏に焼き付いている。

 「終戦まで鬼畜米英と言っていた教師が、夏休みが終わると民主主義を絶賛していた。立派に見える大人でも正しいとは限らない」

 31年生まれの光は多感な中学生時代に終戦を迎えた。それまで「正しい」と教えられてきたことが180度転換した体験から、息子たちに常識に惑わされるなと伝えたかったのだろう。

 光に感化された瀬戸は、「自分で考える」ことを生き方の基軸にしていく。中学受験の時もそうだった。

 小学6年生の時に東京・荻窪から引っ越した同・高島平のニュータウンにはサラリーマン家庭が多かったものの、中学受験は一般的ではなかった。それでも瀬戸は、私立の名門、武蔵中学校・高等学校を目指した。決め手は、先に入学した学年が3つ上の兄・雅哉に見せられた同校の「建学の三理想」。「自ら調べ自ら考える力ある人物」という、光の教えと符合する言葉がそこにあった。

 受験をゲーム感覚で楽しみ合格した武蔵では、振り返れば経営者としての基礎を学んでいた。特に所属したバスケットボール部のコーチ、畑龍雄を、瀬戸は「自分の人生に一番影響を与えた人かもしれない」と言う。

 ローマ五輪で国際審判員をした経歴の持ち主の畑は、“考えるバスケ”を教えていた。口癖は「せっかくへばったんだから頑張れ」。確実に得点に結びつくフォーメーションを徹底的に考え、どんな状況でも実行できるように、疲れていても繰り返し練習し習慣化する。

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