メルカリ山田進太郎会長兼CEOの連載「『Go Bold』の生存戦略」。Lecture(講義)編「起業はとても割に合う」では、起業における急所を解説する。優秀な人材を集めることや、打ち手のメリットとリスクを考え抜くことがポイントだという。シリアルアントレプレナー(連続起業家)の経験から見えてきたのは、人材の大切さだ。

(本コラムは日経ビジネス本誌の連載「経営教室『反骨のリーダー』」を一部、再編集して掲載しています)

【山田進太郎会長兼CEOの「Go Bold」の生存戦略】
第1回(Life Story):「僕は『天才』じゃない」~野心的経営者の原点
第2回(Lecture):メルカリ山田CEOに学ぶ~見えない壁を壊す魔法
第3回(Lecture):メルカリ山田CEOに学ぶ~起業はとても割に合う
第4回(Lecture):メルカリ山田CEOに学ぶ~自分だけの山を登る(8/31公開)

■お知らせ■

日経ビジネス本誌では、連載「経営教室『反骨のリーダー』」を掲載しています。

山田進太郎[やまだ・しんたろう]

(写真=的野 弘路)
(写真=的野 弘路)
1977年9月、愛知県瀬戸市で生まれる。東海中学校・高等学校を経て96年、早稲田大学教育学部に進学。在学中に楽天で「楽天オークション」の立ち上げなどに携わる。大学卒業後の2001年にウノウを創業。04年には1年間の米国生活を経験、帰国後に「まちつく!」などソーシャルゲームでヒットを生む。10年にウノウを米ジンガに譲渡。12年に退職後、世界一周の旅を経て13年メルカリ創業。17年4月から現職。
山田さんが会社を立ち上げる時、 重視することは何ですか?

 結論を先に言うと、とにかく優秀なエンジニアを集めて強いエンジニアリングチームを作るということです。シンプルですが、これが重要なポイントです。

 メルカリを創業した時も、この点を相当意識しながら、必要な人材を集めていきました。もともとスタートアップ企業を経営していた経験を通じて、「最強のエンジニアリングチームを中心にサービスの基本設計を決めていかなければ、いずれどこかで破綻する」ということを身に染みて感じていたからです。

 優れたエンジニアが社内にいることは、創業後の採用活動にもプラスに働きます。特にエンジニアには「優秀なあの人と一緒に仕事してみたい」という傾向が強い。優秀な人の周りには、やはり優秀な人が集まってくるものです。それに、社外からエンジニアを採用する際、優れたエンジニアに面接してもらえば実力を正確に判定しやすいという面もあります。

ゲーム開発経験者の強みとは

 では、優秀な人材をどう集めて、どのように強いチームを作っていけばいいのか。これもよく聞かれる質問です。

 僕は、メルカリのようにインターネットのサービスを作る会社には、スマートフォン(スマホ)向けゲームの開発経験がある人が向いていると思っています。例えばフリマアプリなら、出品や購入といった一つひとつの操作をスムーズにできることが生命線。そうした改善作業に、ゲームの開発経験が生かせると考えています。

 スマホゲームの開発者には、1日に何人が利用して、何人がお金を支払っているかなどの数字はもちろんのこと、「どの段階で使うのをやめたのか」「このキャンぺーンにどんな反応があったか」といった非常にきめ細かいデータを基に、改善し続ける手法が根付いています。さらに、利用者を招いてアプリを実際に使ってもらい、その行動を観察する手法も定着しています。

 どんな画面操作でつまずいているか、ゲームのどの段階でモチベーションが上がるのか。そういった定性的なデータも含めて改善に生かしていくというやり方です。

 往年のソーシャルゲーム大手で、かつて自分も勤務していた米ジンガからこうしたノウハウの多くを学びました。それらをゲーム以外の分野に生かせば優れたサービスを作れると思い、特にメルカリを創業した頃はゲーム業界から積極的にエンジニアを採用していました。もちろん、メルカリの前に起業したウノウでスマホゲームを手掛けていたので、もともと僕自身がゲーム業界の人脈を持っていたという理由もありますが。

エンジニア獲得には苦労した

 「『まず優れたエンジニアを集めよ』といっても、無名の会社にすぐ来てくれるほど甘くはないのでは?」。そう思う人もいるでしょう。

 実際その通りで、優秀な人材は当然ながら、既に別の会社で重要な仕事に携わっています。簡単に辞められない場合が多いのです。

 この問題の抜本的な解決策はありません。今でこそ多様で優秀な人材が集まっている当社ですが、創業した頃はやはり、人材不足という問題を抱えていました。

 メルカリの共同創業者は僕を含めて3人。ほかの2人は、ゲーム分野の会社を経営したことがあるエンジニアです。1人は初日から参加しましたが、もう一人が合流したのは1カ月後でした。

 その2人以外にも何人かの優秀なエンジニアが別の会社に勤めながら、平日夜や週末に開発を手伝ってくれましたが、当社に「完全移籍」してもらうまでは時間がかかりました。勤めていた会社を辞めて、メルカリに移ったのは夏から秋にかけてのことだったと思います。会社が立ち上がってから半年くらいはかかったわけです。

 その間にも、開発の主軸だったエンジニアが病気で開発チームから離脱したり、目標に据えていたサービス公開時期が迫ってきてもスムーズに動かず、人手がさらに必要になったりと、問題は次から次へと出てきました。

 この頃の僕が何に時間を費やしていたかというと、入社してもらいたい優秀な人材にコンタクトを取って、何とかしてメルカリに入るよう口説き落とすことでした。

 当然、相手は「生き残れるかどうか分からない会社に入ってよいものか」と心配しています。当時、CtoC(消費者間)取引市場ではヤフーのオークションアプリ「ヤフオク!」や、ほかのフリマアプリが先行していましたから。アプリの開発作業と並行して人を採用し、会社を作り上げていくのは大変でした。何とか他社に見劣りしない給与水準にしたり、ストックオプションも付与したり。「成功したらその成果を分かち合おう」と語り合いながら人を集め、組織を整えていった形ですね。