「生存戦略」を突き詰める

 山田の謙遜を額面通り受け取っては、このリーダーの本質を見誤る。歩んできた道のりが決して平坦ではなく、失敗を積み重ねたからこそ身にまとったスタートアップ経営のリアリズム。それが山田の武器だ。

 山田のリアリズムを突き詰めれば、「生存戦略」の一言に集約される。

 まず自分の置かれている状況を冷静に捉え、自分が頂点に立てる領域がどこかを見極めることで生き残っていく。人生や経営の岐路に立った時、それを考え抜いて行動するという意味だ。

 山田のこうした人生観は幼少期から青年期にかけて培われたようだ。

 山田は1977年に愛知県で生まれ、弁護士の父と税理士の母に育てられた。本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすのが好きで、どちらかといえば目立つのが苦手な子供だったという。

 ただ、鬼ごっこや缶蹴りといった仲間との遊びでは違った。「ルールを少し変えれば、もっと面白くなるはず」。遊びに工夫の余地がないか考え、良いアイデアがあれば仲間に積極的に提案した。現在の山田をほうふつさせるような人との関わり方と言える。

 山田の「生存戦略」が最初に形を伴ったのは、地元愛知の名門、東海中学校・高等学校に進学してからだ。小学生の時はトップクラスだった勉強の成績は、入学した途端にクラスで後ろから3番目。一念発起して猛勉強したが上位にはなれなかった。

 「勉強では優秀なやつに勝てない」と挫折感を味わった。それでも完全に折れなかったのは、「ほかの道で1番になればいい」と頭を切り替えたからだ。

 96年に早稲田大学へ進んでからも、周囲には優秀な学生ばかりで、悶々とした日々が続いた。そこに転機をもたらしたのは、所属していた大学サークルでの意外な“人事”だ。

 インターネットで情報発信するサークル「早稲田リンクス」で、ホームページの作成を担当していた。ある時、苦手だと思っていたサークルの幹事職にどういうわけか担ぎ出された。

 これが山田の起業家としての原体験になっている。サークルのメンバーは全体で数十人規模。組織をまとめ上げるやりがいや苦労を味わった。自分に不得手なことがあっても、それを補える仲間と組めば強みに変わり、大きな成果を出せるのだと実感した。