反蘇我グループが起こしたクーデターは「成功」したのでしょうか。

出口:その後の歴史を見ると、結局「成功」だったのかどうかは分からない結末を迎えます。

 その後、百済は朝鮮半島の新羅と唐の連合軍に敗れ去ります。亡命者が日本にも渡ってくる中で、日本はその亡命者と共に百済へ上陸。唐に闘いを挑みます。約5万人の兵士が朝鮮半島に渡ったといいます。それが「白村江の戦い」です。ここで日本は完敗します。装備も軍略も唐の敵ではなかった。ここで日本は「唐の言うことを聞くしかないんだな」と改めて悟るわけです。つまり、外交対策としてその後日本が親唐派へと舵を切ったことを考えれば、親唐派だったといわれる蘇我氏の考えは間違ってはいなかった。「乙巳の変」で中大兄皇子らが描いていたグランドデザインは必ずしも正しかったとは言えないのかもしれません。

「長波」「中波」「短波」の一致が重要

どのような条件が整ったときにクーデターが起きやすくなるのでしょうか。

出口:これは名著『地中海』で有名なフランスの歴史学者フェルナン・ブローデルが述べていることですが、クーデターなどの大事が起こるときには、長波と中波と短波の一致が見られるのです。長波は長期的な環境の変化、中波はその局面で社会をどの方向に持っていこうかというグランドデザイン。短波は、クーデターなどの大事を実行できるリーダーの存在です。

歴史的な「大事」が起きるのは、長波、中波、短波が重なったとき。それは、世界史でも日本史でも同じように考えることができる、と出口氏は話す

分かりやすい例はありますか。

出口:明治維新で考えるのが簡単ではないでしょうか。明治維新時における長波は、ネイションステート(国民国家)、産業革命という大きな流れ。そこでペリーが来航した時、開国か鎖国かという環境変化を踏まえたグランドデザインが必要になった。これが中波。そこにグランドデザインを描いた阿部正弘、井伊直弼、大久保利通などのリーダーが登場するという構図です。

 鎖国前の日本は、石見銀山などのおかげで、世界におけるGDPシェアは4~5%あったといわれています。それが、鎖国をしている間に半分以下になった。産業革命とフランス革命、ナポレオンによるネイションステートの成立というイノベーションに乗り遅れたからです。1853年にペリーが来航した際に、福山藩主の阿部正弘は、「鎖国は間違っていた、国を開いて交易をやって、豊かになって、そのお金で兵隊を作るんだ」という方向を示します。「開国、富国、強兵」という3つのグランドデザインを描いたわけですね。これに対して、倒幕に燃えていた薩長は尊皇攘夷を掲げ、外国人と対決。そして、実際に薩長は尊皇攘夷を実行してしまう。明治維新を引っ張った大久保利通や伊藤博文は、阿部正弘や井伊直弼の方が実は正しかったと悟る。とはいえ、振り上げた拳は下げられないということで、そのまま幕府を倒すものの、開国、富国、強兵に戻っていくわけです。明治維新は、いわば、幕府が描いた絵をそのまま上手に取り入れたことで成功したともいえるかもしれません。

今の企業やビジネスでも例えられますか。

出口:SDGs(Sustainable Development Goals:エスディージーズ=持続可能な開発目標)の流れも同じような流れだと思います(※)。2030年に向かってSDGsという世界的な大きな流れがある。これが長波ですね。中波は、2030年まで残り13年で、どうグランドデザインを描くのか。短波が、それを実行できる人が抜擢できるかどうか。こうした局面で意見対立が起きれば、クーデターのような大事が起きるかもしれませんね。

※SDGsは、世界の社会課題解決のために2015年に国連で193カ国が合意した2030年までの目標。貧困解消や気候変動対策など17の目標と169のターゲットがある。

 簡単に言えば、結局は「新しい局面」にどう立ち向かうかという方向性の違いが、クーデターなどの大事を生むということになるのでしょう。