日経ビジネス7月10日号では「社長解任 誰がクーデターを起こすのか」と題した特集を掲載した。今春には三越伊勢丹ホールディングスで突然の社長交代があったが、産業界の歴史を紐解いても、同様のトップ交代は繰り返されてきた。なぜ、そして、どのようにクーデターは起こるのか。クーデターの本質に迫った。
繰り返し起こるクーデターは、もちろん企業内に留まらない。日本史を見ても、幾たびもの政治体制の転換が繰り返されて、歴史をつくってきた。大の読者家で歴史に関連する著書も多数ある、ライフネット生命保険創業者の出口治明氏に話を聞いた。

ライフネット生命保険創業者。1948年生まれ。72年日本生命保険入社、2006年に現在のライフネット生命保険を設立し、社長に。2017年6月に会長を退任した。読書量は年間200冊。『仕事に効く教養としての「世界史」』(祥伝社)、『「全世界史」講義』(新潮社)など歴史にまつわる著書多数。(撮影:的野弘路、以下同)
日本史上における、最も印象に残るクーデターは何ですか。
出口治明氏(以下、出口):645年の「乙巳の変(いっしのへん)」ですね。「大化の改新」と記憶している人も多いかも知れません。「大化の改新」は645年から648年にかけて断行された一連の改革と見なされてきましたが、今では改革の存在そのものに疑問符が付けられています。
クーデターは外部からの影響があって起きることが多いのですが、乙巳の変はそのことを教えてくれます。学生時代は「日本史」「世界史」と別々に学習しますが、日本史は世界史の流れと大きく連動しています。簡単に言えば、強国が生まれたときに、その強国とどう対峙するかという争いが起きるのです。今でも、米国との関係をどうするか、で日本の政治は変わりますよね。
「乙巳の変」では、「外部からの影響」というのはどう受けたのでしょうか。
出口:645年頃、日本では豪族の蘇我氏が天皇家と共働しながら、実質的な政治権力を握っていました。一方で、海の向こうの大陸では、唐が急速に勢力を広げていた。遣唐使や朝鮮半島の動乱を通じて唐の影響力を目の当たりにした中大兄皇子や軽皇子(後の孝徳天皇)らは、その状況に危機感を抱きます。仮に日本が侵攻対象になったときに、蘇我氏が皇室と密接に繋がって人民や土地を思うままに支配しているようでは、いざというときに国を挙げての防戦ができない。蘇我氏との2極体制ではなく、天皇を中心とした中央集権制度を整えておく必要を感じていた勢力があったのです。
外敵を目の前にして国内を「どう統治するか」ということでの意見の食い違いが起きたというわけですね。
出口:そうですね。さらに、もう一つこんな説もあります。蘇我氏が唐と積極的に付き合おうと考えていた一方、軽皇子や中大兄皇子は徹底抗戦すべきと思っていた。この路線の違いが、乙巳の変を招いたというのです。蘇我氏は、とても開明的な政権で、唐に近かったとも言われる。一方の反蘇我グループは元々同盟関係にあった朝鮮半島の百済と一緒になって、唐とは徹底抗戦すべきと主張。百済は当時、唐と対立関係にありました。つまり、進むべき方向について対立したともとれるのです。
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