(前回から読む)
世界最大の自動車市場である中国。そこで昨年最も売れた日本車は、意外にも何の変哲もない地味なセダンの日産「シルフィ」だった。しかも中国経済が減速するなか、市場全体の伸び率を大幅に上回る販売実績を上げた。
シルフィを現地生産する合弁会社、東風日産乗用車はいったいどんなマジックを使ったのか。実際には「あっと驚く奇策」というよりも、中国の消費者のクチコミを味方につけたことが大きかった。クチコミを培ったのは、商品力と販売力を地道に改善し続けたこと。その継続を可能にしたのは、やるべき仕事をとことんやる独自の企業文化だった、というのが前回までのストーリーだ。
外資系自動車メーカーに2つのルール
インタビュー後編では、この企業文化の特徴や効用をさらに詳しく聞いていく。その前に、理解を深めていただくために2つの予備知識を紹介したい。
まず、外資系自動車メーカーが中国市場に参入する場合のルールだ。
中国政府は外資系メーカーの現地生産に関して中国メーカーとの合弁を義務付けており、合弁会社への出資比率の上限は50%。さらに、合弁相手の中国メーカーは最大2社までに制限されている。
つまり、外資側は合弁相手の中国側と意見が合わない時、資本の論理で押し切ることはできない。また、ソリが合わないからと言って合弁相手を簡単に変えることもできない。逆に言えば、中国側といかに相互理解を深め、協業体制を築けるかが合弁会社の競争力を決定づけるのだ。
もうひとつは、日産自動車の中国進出が世界の主要メーカーのなかでも後発だったことだ。
トヨタ自動車やホンダの本格進出(完成車の合弁会社設立)が1990年代後半だったのに対し、日産は2003年。中国の有力メーカーはすでにライバルと合弁しており、日産は中国政府の意向に沿って、もともとトラック専業だった東風汽車と手を組むことになった。
逆に言えば、日産は選択肢がなかったがゆえに、東風との信頼関係を深めるしか後発のハンデを克服する道がなかった。そして、それまで有力な外資との合弁に恵まれていなかった東風も、思いは同じだったのである。
それから13年。日産はいまや中国市場でトヨタとホンダを抜き去り、日系メーカーのトップに立っている。逆転成功の背景には、上述の2つの要素が深く関係していると、筆者は考えている。
それでは、東風日産乗用車総経理(社長に相当)の打越晋氏と、市場銷售総部(セールス・マーケティング部門)副総部長の陳昊氏へのインタビュー後編をお届けしよう。
(※ このインタビューは今年3月下旬に行いました。筆者の事情で掲載が遅れたことをお詫びします。肩書きは当時のものです)
中国市場でシルフィが成功した背景には、商品力や販売力を地道に磨き続けた「実行力」や「継続力」がある。そして、それを支えている土台は東風日産の企業文化であると。具体的にどういうものなのか、お聞かせいただけますか。
打越:例えば「トヨタ生産方式」は、トヨタ自動車さんが長年かけて培った企業文化の体現ですよね。他の企業が表面的に真似たとしても、現実にはなかなかうまくいかないと思います。逆に言えば、独自の企業文化があるからこそトヨタさんは強い。
それと同じで、あるひとつの商品がヒットした時、それがたまたま偶然だったら他社も真似できるかもしれません。しかし、シルフィのように継続して売れるクルマを生み出すのはそう簡単なことではありません。
その点、私たちには日中合弁企業としての固有の文化があり、仕事のやり方があります。
東風日産の企業文化は、日本の親会社の日産とも中国の東風とも違うということですか。どんな場面で力を発揮するのでしょう。
打越:例えば、シルフィは中国市場だけでなく北米や日本でも販売しています。日産ブランドのクルマはやはりグローバルな商品であり、日本の本社が中心になってデザインや商品企画を詰めていきます。
そんなグローバルな開発体制の下で、中国のお客様が本当に求めている商品を作り込むにはどうすればいいか。重要なのは、まず東風日産のなかでしっかりと議論を重ね、意見を統一したうえで「こういうものが欲しい」と日本に伝えることです。そうしないと、中国のお客様の心をとらえる商品を作り続けるのはなかなか難しいと思います。
その点、東風日産には、出身母体の違う日本人社員と中国人社員がお互い遠慮なく意見をぶつけ合える雰囲気があります。だからこそ、双方が知恵を出し合って相互に納得できる方針を決められます。
東風日産の「ワンボイス」
寄り合い所帯の合弁企業でありながら、方向性がぶれない。
打越:はい。どんな経営課題にも東風日産としての「ワンボイス」で取り組む。それが私たちの企業文化の強みです。
陳:この会社では、日本人であれ中国人であれ同じ目標を掲げて共同で努力し、よりよい結果を出すことに最大の価値を置いています。「自分が正しい」とか、「相手が間違っている」とかではなく、あくまで結果で判断する。文化的背景の異なるメンバーが一緒に仕事をする場合、この点は非常に重要です。
私たちはシルフィを「中国ナンバーワンのファミリーカーにする」という目標の下、全社一丸となって努力してきました。その課程では、日本側の意見が正しかった時も、中国側の意見が正しかった時もあったと思います。しかし意見の違いはたいした問題ではありません。
重要なのは「シルフィをナンバーワンにできたかどうか」です。結果の前では自分が日産出身か、東風出身かといった立場の違いは捨てる。よりよい仕事をして結果を出すことが最優先なんです。
意見が対立してまとまらないことはないんですか。
陳:それを防ぐために欠かせないのが、お互いに自由に意見を言える雰囲気です。仮に意見に隔たりがあっても、お互いに会社をよりよくするために協力して仕事をしているというコンセンサスがあります。だから私は、言うべきだと思った時は打越さんの部屋に怒鳴り込むことだってあります(笑)。
陳:一般的に言って、中国の外資系合弁会社ではそういう風通しの良さが足りないところも少なくないのではないでしょうか。その意味で、シルフィは東風日産という一企業の成功のシンボルであると同時に、中日企業文化の融合の産物でもあると思います。
本音をぶつけ合えるからこそ、相互理解も深まると。
打越:はい。例えば今回のような取材でも、私は陳さんが何を話すか、事前にすり合わせをしなくてもわかります。陳さんも私が何を言うかわかるはずです。
それができるのは、いつもお互いに話をしているからです。ちゃんと本音をぶつけ合ったうえで、「この件はこうしましょう」とひとつひとつ決める。陳さんが言いたいことを私に率直に言ってくれるのは非常に有り難いし、私だって遠慮なく陳さんに怒っています(笑)
「いつも話をしている」から「話さなくても分かる」のですね。では、意見がぶつかりがちなのはどんなことですか。
東風日産乗用車の打越晋総経理(社長に相当、役職名は取材当時、以下同)
打越:あまり具体的な話は勘弁していただきたいのですが、例えば、私たちには日本からいろいろな連絡や要請が来ます。「ある車種でこういう仕様が決まりました」とか、「今年の販売目標はこうしたい」とか、「販促活動の予算はどのくらいにして欲しい」とか。
一方、陳さんは中国での販売目標に対して大きな責任を負っています。それを実現するため、現場の実情を日本側にわかってもらいたいという強い気持ちがあります。それだけに、ちょっと現場の感覚と乖離した要請が来た時などは、彼は「総経理、これは何とかしてください」と直談判に来ますよ。
なるほど。風通しのよい文化のルーツはどこにあるのでしょう。
危機感の共有から始まった
打越:先輩方から聞くところでは、2003年に東風日産を設立した当初は日本側と中国側の意思疎通がなかなかうまくいかず、お互い大変苦労したそうです。しかし日中の文化の溝を超越しなければ、合弁会社の成功はあり得ません。日中双方のリーダーがそういう危機感を共有したところから、「東風日産は日産でも東風でもない、独自の企業文化を持つべきだ」という発想が生まれました。
その後も、日中外交関係の悪化を含めて、私たちは厳しい局面に何度も遭遇しました。そんな時、中国人社員たちは「日系企業」のためではなく、東風日産という中国に根付いた「自分の会社」を何とかしようという意識で、一致団結して頑張ってくれました。こうした経験の積み重ねのなかで、企業文化がさらに磨かれ、強くなった。そう言えるのではないか思います。
独自の企業文化の効用について、もっと例を教えてもらえませんか。
陳:例えば市場調査です。日産を含めて、グローバルな自動車メーカーは世界各国の市場について様々な調査を行っています。しかし、それぞれの国の文化に対する深い理解がなければ、調査は表面的なものに終わりかねません。
中国市場について「こうこうです」という調査結果が出ても、なぜそうなるのかという理由や、その文化的背景は、やはり中国人でないと深い分析ができません。さらに中国市場だからといって、中国人なら誰でもわかるとも限りません。ある地方や都市の文化は、やはりその地方や都市に長く暮らしている人だけが深く知っているからです。
だからこそ、日中双方がしっかりコミュニケーションをとり、お互いの文化への理解を深める必要があります。そうでないと、調査結果のうわべだけを見て誤った判断を下してしまうでしょう。
調査結果の裏にある事実を見落としてしまうと。
陳:その通りです。例えば私たちは昨年、SUVの新型「ムラーノ」を発売しました。このムラーノについて市場調査をした時、あるお客様が「自分は買わない」と答えた。そこで理由を聞くと、彼は「四輪駆動モデルが用意されていないからだ」と答えたとします。
しかし、この調査結果を鵜呑みにして四駆版を追加投入しても、このお客様がムラーノを買ってくださるとは限りません。なぜなら「四駆がない」というのは口実に過ぎず、本当の理由は「予算が足りない」かもしれないのです。
中国人は、ある商品が欲しいけれど自分の経済力では手が届かない時、しばしば別の理由を口にします。そんな婉曲的な表現をするのは、面子を重視する中国の文化や習慣が背景にあります。
別の言い方をすれば、東風日産は競合他社より市場の深読みに長けている可能性がある、ということですね。
打越:中国市場は広大かつ多様性に富んでいるので、都市や地方によって調査結果の読み方も違ってきます。先ほどのムラーノの話にしても、ある地方では本当に四駆がないと売れないかもしれないし、別の地方では四駆がなくても売れるかもしれない。また、同じ車種でも地方によって売れ筋の価格帯が違います。
そんな細かな市場ごとの違いを深掘りして、販売現場の声もちゃんと聞いたうえで、商品企画やマーケティングにフィードバックする。そういう地道な努力を当たり前のようにやるのは、やはり私たちの企業文化だと思います。
販売ネットワークは「量」から「質」へ
話が変わりますが、中国ではモータリゼーションの広がりとともに、乗用車販売の主戦場が大都市から地方都市に移りつつあると聞きます。東風日産はどう見ていますか。
東風日産・陳昊市場銷售総部(セールス・マーケティング部門)副総部長
陳:今は主戦場が大都市から地方都市に移っていく途上にあります。大都市で売れなくなったわけではありませんから、私たちメーカーとしては大都市と地方都市のどちらも大切です。とはいえ販売の伸び率は地方都市の方が高いので、将来を見据えた戦略の重点はやはり地方にあります。
ということは、販売ネットワークを地方へさらに拡げる必要がある。
打越:いや、必ずしも拡大一辺倒ではありません。確かに、私たちは2014年の前半まで販売ネットワークの拡大に重点を置いていました。市場がどんどん伸びていたので、それに遅れないように販売網を拡げていく。もっと北に伸ばそう、西に伸ばそうと頑張っていました。
しかし、2014年の後半からはネットワークの「質」をもっと高めなければならないと感じ、拡大と同時並行で取り組んでいます。
ネットワークの質とは?
陳:中国の自動車市場は3年前まで毎年二桁成長が当たり前でしたから、私たちを含む全メーカーが販売ネットワークの拡大を追求していました。「今日の販売網の規模が3~4年後の販売力を決める」と考えていたからです。要するに、二桁成長はまだまだ続くと信じていた。
ところが2014年後半に転機が訪れました。市場の成長速度がはっきり下がり始めたのです。これはディーラーの経営者にとって大きな試練になりました。それまで、ディーラー経営者の多くは規模拡大のことばかり考え、人材教育や社内管理が相対的に後回しになっていた面があったんです。
打越:ディーラー経営者のなかには非常に優秀な方もいますし、当然ですが、それほどでもない方もいます。そして、実績が出ない場合には必ず理由があります。
打越:そこで、市場が転機を迎えたのをきっかけに、パフォーマンスが低いディーラーを重点的に支援する試みを始めました。販売ネットワークの規模(量)を拡大するだけでなく、全体の効率(質)を高めるのが狙いです。
具体的にはどうするんですか。
打越:日産はグローバルに事業展開するなかで、北米や欧州などの成熟市場で培った様々なノウハウがあります。そのなかから、北米で実績を上げたパフォーマンスの低いディーラーを改善するプロセスを取り入れ、中国の実情に合うように改良して実践しています。
中国には長年の人間関係を大切に文化がありますから、ドライな北米のやり方をそのまま持ち込めばディーラーの反発を呼びかねません。そこで、北米の経験をまず私たちが消化吸収し、中国で実際に使える施策に落とし込む。そのうえでディーラーに提案することがカギになります。
実は、その過程でも独自の企業文化が生きました。私たちは得てして自分が担当する市場ばかりを見て、「中国では中国のやり方でやるんだ」という固定観念に陥りがちです。しかし東風日産の中国人社員たちは、日産のグローバルな経験を常にベンチマークにしながら、その良いところを中国化して取り入れる。そういう柔軟性や多様性を持っているんです。
成果はいかがですか。
陳:私たちが社内で「SPC」と呼んでいるプロジェクトがあります。これは東風日産が第三者のコンサルティング会社に依頼し、ディーラーの社員研修の支援を行うものです。コンサルティング会社のトレーナーが販売店の現場に入り、セールスマンたちと一緒に1週間かけて問題点を洗い出します。そして解決策を立てて実行し、その効果を検証するのです。
この活動をこれまでに30余りのディーラーで行ったところ、研修前と研修後では販売台数が40~50%増加しました。研修前は毎月50台しか売れなかった販売店が、研修後は100台に倍増した例もあります。もちろんこうした結果も大切ですが、最大の成果はディーラー経営者やセールスマンに自信がつき、実行力が大幅に高まったことです。
どの分野に於いても、基本に忠実な経営をどこまで細かく、深く実践できるか。その徹底の度合いが市場での勝負を決めるということですね。
競争はますます激しくなる
打越:私たちはそれを実現できる企業文化を合弁の初期からしっかり作り、受け継いできました。年販100万台という目標を昨年ついに達成できたのは、そのおかげだと思います。
では今後はどうするか。そんな議論をしていた時、陳さんのセールス・マーケティング部門から出てきた提案は「もう一度お客様をちゃんと見よう」というものでした。今年を「お客様の年」と位置付け、改めてお客様の満足度を高めることを最優先に考えて活動しようと。そんな思考が社内から自然に出てくることを、私はとても誇りに思っています。
最後に、中国市場の将来予想をお聞かせいただけますか。
打越:この先数年は、まだ堅実に市場が拡大していくと思います。ただ、そのなかで地域ごとの伸び率の差がより顕著になってくる。また、中国メーカーの「ローカルブランド」がますます成長すると見ています。
乗用車のカテゴリーではSUVの伸びに加え、中国政府が「一人っ子政策」を廃止したことをふまえ、家族みんなで乗れる7人乗りのミニバンの人気が高まっていく。また、ハイブリッド車や電気自動車などの新エネルギー車もますます注目を集めると予想しています。
陳:市場の競争は今後さらに激しくなると思います。と言うのも、全てのメーカーが生産拠点のフル稼働を前提に将来目標を立てているからです。中国市場は年間2500万台に迫る規模に成長しましたが、そこにはローカルブランドを含めて90を超えるブランドがひしめいています。今後、淘汰されるブランドが出てくるのは必定です。
しかし市場環境がどう変化しようとも、東風日産の考え方は一貫しています。全体としての成功を勝ち取るには、個別の成長機会をひとつひとつしっかりとつかむ。それこそが要諦だと思います。
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