(前回から読む)
上海に進出したスーパー銭湯「極楽湯」。その繁盛を現場で支えているのは、言うまでもなく現地採用の中国人社員たちである。店舗の見た目やお風呂の設備がいくら立派でも、働き手がだらだらしていたら日本流の「おもてなし」は再現できない。
とはいえ、言葉や文化の異なる中国人社員との意思疎通だけでも大変なのに、どうやって「おもてなし」の考え方を教えたのか。そもそも、中国人に「おもてなし」が理解できるのだろうか。
極楽湯インタビューの最終回は、上海1号店の立ち上げで社員教育の責任者を務めた総合企画部企画課長の宮田知佳さんにお話を聞いた。
(※ 本連載のインタビューは昨年12月~今年2月に行いました。筆者の事情により掲載が遅れたことをお詫びします。肩書きは当時のものです)
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宮田さんは上海1号店を立ち上げる際、新入社員向けの教育研修プログラムを作られたそうですね。言葉も文化も異なる中国人社員と向き合って、とまどいはありませんでしたか。
宮田:やはり現地で生活すると、中国人の考え方は日本人とは違うな、と感じることが多々あります。特に上海に赴任した当初は、日本と違うことは分かるけれど、具体的にどう違うのか、なぜ違うのかが分からなくて、何もかも手探りでした。「どうしてこんな考え方をするのだろう」と。
そういう意味では確かに苦労もしました。でも個人的には、中国人と日本人では生まれ育った環境も文化も違うから、発想や習慣が違うのは当たり前だろうと最初から覚悟していたんです。だから違いそのものに対するとまどいより、それをどうやったら超えられるかに頭を悩ませました。
いわゆる「おもてなし」の考え方は、日本の文化と深く結びついていますよね。社員教育で短期間に理解してもらうのは難しいのでは。
宮田:1号店のプロジェクトでは、計画段階から「日本のおもてなしを表現する」という目標がありました。それをどうしたら実現できるか。上海で現地の人々と実際に接しながら考えるうちに、ある時ふと気付いたんです。「おもてなしの心は中国人にもあるじゃないか」と。
どういうことですか。
「おもてなし」の出し方が違うだけ
宮田:例えば、中国の人々は家族や友人をとても大事にします。特に自宅に招いた時の歓待ぶりは、本当に至れり尽くせりです。それに、高齢者や小さな子供に対してやさしく接する人がとても多い。そういった部分では、中国人のおもてなしの心は日本人以上かもしれないと思いました。
つまり、中国人のおもてなしの心はそれが表現される場や、表現の仕方が日本人とは違うのです。だから「おもてなしの心がない」と日本人は誤解しがちです。でも実際には持っているのだから、私は社員の教育・研修を通じてそれを引き出したいと考えたんです。
なるほど。そのためにどんな教育をしたんですか。
宮田:入社して最初の研修では、日本では当たり前でも中国では当たり前でないことを、まずは真似してもらうところから始めます。きちんとおじぎをする。笑顔であいさつする。お客様に何かを渡す時は両手で渡す。方向をご案内する時は、指さすのではなく手のひらで示すなど、ごくごく基本的な動作の練習です。と同時に、なぜそうするのかをひとつひとつ説明します。
そのうえで、自分の頭を使って考えてもらう工夫をしています。例えば、お店のなかで実際に起きることを具体的に想定し、「お客様にとって心地よいのはどんな対応か」などとクイズ形式で質問します。さらに、自分が出した答えについて「なぜそう考えたのか」を説明してもらい、同期入社の仲間の意見も聞いて、一緒に考えてもらったりします。
慣れない動作や考え方を、すんなり受け入れられない人もいるのでは。
宮田:最初のうち、一番時間がかかったのはおじぎの練習でした。中国人はおじぎに慣れていないだけでなく、他人に向かって頭を下げることに抵抗を感じる人が多いんです。「なんでそんなことをしなきゃいけないんだ」と文句を言って、研修中に辞めてしまう人もいました。
でも私たちとしては、「お客様に満足していただくことがサービス業の基本なんだ」と、社員ひとりひとりに理解してもらわなければなりません。そこで、接客については「自宅に招いたお客様だと思ってもてなしてください」と説得したり、衛生管理については「自分の家の床にゴミが落ちていたら、拾わずに放っておきますか?」と質問したり。先に採用した中国人社員にも意見を聞きながら、研修プログラムや伝え方を工夫しました。
1号店の飲食エリア。従業員の「おもてなし」が試される
理解してもらえば抵抗感は減りますか。
宮田:そうですね。もちろん研修を通じて頭では理解しても、まだ習慣としては身についていません。なので、あとは実際の仕事のなかで言い続けることが大事です。お店では毎日朝礼をするので、おじぎや言葉遣いの復習をしたり、接客時の心がけを繰り返し確認したりして、徐々に浸透させました。
ちなみに私たちのお店の従業員は、地元上海の出身者よりも地方から出てきた若い人が中心なんです。彼らは「自分の将来にプラスになることを勉強したい」という気持ちが強く、その意味では日本人よりも素直で積極的な人が多いと感じます。だからこそ、これまでの生活習慣とは違っても、会社の考え方を理解しようとしてくれたのだと思います。
宮田さんは上海に赴任される前から、社員の教育・研修の仕事をしておられたんですか。
中国勤務を志望したわけではありません
宮田:私は2007年に新卒で入社し、最初の2年間は店舗に配属されました。その後、社内公募に手を上げて本社の営業推進課に異動しました。入社した時から、将来的には店舗開発の仕事にチャレンジしてみたいと考えていたのが動機です。
営業推進課は主に新店舗の飲食部門の開発を担当しており、ホール・スタッフの採用や教育・研修にもコミットします。国内の新店の場合、開店準備の段階から3カ月間くらいお店に常駐してスタッフを教育し、お店が回り始めたら引き上げるという役割でした。
上海赴任はご自身で希望したんですか。
宮田:いいえ。中国進出プロジェクトのことは知っていましたが、自分が赴任することになるとは考えてもいませんでした。ある時、「上海に行く気はあるか?」と上司に聞かれて、正直迷いもありましたが、せっかくチャンスをもらえるならやってみたいなと。そう思ったので「行きます」と返事しました。
それまで、中国に興味や関心を持ったことは。
宮田:旅行したこともないし、特に関心はなかったです(苦笑)。両親は2005年の反日デモの記憶があり、「本当に行くのか」と心配してくれました。でも私自身にとっては、「新しいことに挑戦できる」という魅力がやはり一番大きかったですね。
中国に対して好感を持っていたわけではありませんが、嫌な経験を直接したわけでもありません。いろいろネガティブなことも報道されているけれど、実際に行ってみたらまた違うんじゃないかと楽観的に考えていました。
中国に限らず、日本企業が女性社員を海外駐在員として派遣するケースはまだ少ないですよね。なぜ宮田さんが選ばれたんですか。
宮田:それは私にはわかりません(笑)。当時の私はそれほど経験値があったわけでもなく、「よく声をかけてくれたな」と上司に感謝しています。
ただ、上海の1号店は中国資本の温浴施設とはっきり差別化するため、「若い女性のお客様が1人でも安心して利用できる施設を作る」と最初から決めていました。そのためには、男性社員だけでなく女性社員の派遣も必要だという判断があったのだろうと思います。上司からは「女性の目線のアイデアや、女性客を呼び込むための提案に期待している」と激励されました。
浴衣は6種類(VIP会員は8種類)から選べる。女性客を意識して可愛い柄を揃 えた
女性の目線で見て、女性客の心をつかむポイントは何でしょう。
宮田:やはり店内を全体的に明るく、清潔感があるようにする。それが何より大事だと思います。私も現地資本の温浴施設の調査に行きましたが、やはり女性には入りづらい雰囲気だし、休憩スペースも薄暗くて女性が一人で休むには不安だなあと。
そこで、極楽湯では休憩スペースを隅々まで明るくして、女性のお客様に安心して使っていただけるようにしています。実は、ひと眠りしたい男性のお客様には明るすぎるかもしれないんですが、あえてそうしています。
他にもかわいい絵柄の館内着をそろえて、カップルで楽しんでもらおうとか。キッズコーナーを広くして、お子様連れのお母さんが利用しやすくしようとか。女性のお客様は細かいところまで気がつくので、私たちも細かい部分に気を配るよう心がけています。
尖閣問題での反日デモは?
なるほど。ところで、上海にはいつ赴任されたんですか。
宮田:1号店がオープンする半年前。2012年の7月頃でした。
ということは、2カ月後に日本政府の尖閣諸島国有化に抗議する激しい反日デモが起きていましたよね。怖くありませんでしたか。
宮田:不安がまったくなかったと言えばウソになりますが、少なくとも上海で暮らしている限り、反日感情を意識することはほとんどありませんでした。むしろ自分のまわりの中国人の方が、私が不安にならないよう気遣ってくれたように思います。
もちろん、日々の生活や仕事のなかで考え方の違いに驚いたり、困ったりしたことは少なくありません。でも個人的には、現地の人々に温かく接してもらった思い出の方が強く残っています。その意味では、日本で報道されている中国のイメージとはまったく違いました。
例えばどんなことですか。
宮田:仕事の話ではありませんが、私は上海で暮らしていた時、自宅の賃貸マンションから事務所まで自転車で通勤していました。マンションには自転車置き場がなかったので、私は自転車を毎日エレベーターで部屋まで運んでいたんです。
宮田: するとエレベーターに乗り合わせた住民の方のほとんどが、私が乗り降りする間、いつもドアを開けて待っていてくれました。そうするのがごく自然な感じで、私が「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」と笑顔を返してくれる。おかげで、中国人はみんなマナーが悪いというイメージが覆りました。こういうことは、実際に中国に住まなければ気付かなかったと思います。
その気付きが研修プログラムにも生きた。
宮田:そう思います。私が「中国人にもおもてなしの心はある」と確信したのも、誰かに言われたわけではなく、上海での生活の中で自分自身が自然にそう感じたからです。だから「日本との違いはきっと表現の仕方なんだな」と想像することができました。
とはいえ、上海のサービス業は全体的に人手不足で、転職も盛んです。社員教育が追いつかない面もあるのでは。
共感を持つ社員が部下に伝える
宮田:確かに、社員の入れ替わりの多さは予想以上です。1号店の開店前は新入社員の教育研修にもある程度時間をかけて取り組めましたし、私たちがなるべく丁寧に教えることで、職場に愛着を持ち、お客様によりよく接することができる社員を育てたいと考えていました。
それだけに、初期のメンバーには私たちの思いが比較的伝わったと期待していたのですが、現実にはやはり辞めてしまう人も少なくなかったですね。それでも、多数とは言えませんが現在も残ってくれているメンバーがおり、みんな管理職になっています。会社の考え方に共感を持つ彼らが、それを新入社員たちに引き継ぎ、お店を引っぱってくれているのは心強いです。
今後の多店舗展開を考えると、社員教育はますます重要ですね。
宮田:この先ずっと考え続けなければならない課題です。今夏には内陸部の武漢に3号店がオープンしますが、上海と比較すると、日本文化に対する関心や理解度が深まるのはまだまだこれからだと感じます。そういうなかで、武漢のお客様に満足していただくにはどうすればいいのか。そのためにどんな社員教育が必要なのか。中国は広いですから、新しい土地に行けばまた新しい試行錯誤があるはずです。
上海で極楽湯が成功したことで、私たちの店舗のデザインを模倣した競合施設も現れ始めています。それらと差別化するポイントは、やはり接客の丁寧さ、館内の清潔さ、お湯の衛生管理などです。お店の見た目はコピーできても、運営のノウハウは簡単には真似できません。教育・研修を通じて社員の意識を高め、よりよいサービスを提供し続けたいと思います。
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