(前回から読む)
上海に2店舗を構えるスーパー銭湯「極楽湯」。明るく清潔な店作りと日本流の「おもてなし」が女性や家族連れの心をつかみ、冬場の週末には1日4000人を超えるお客が詰めかける。
だが中国人従業員のほとんどは、入社するまで日本式のお風呂に入ったことも、良質のサービスに触れた経験もない人ばかり。仕事に関する常識や取り組み方も日本とは相当違う。
そんな彼らとのコミュニケーションギャップを乗り越えなければ、高いレベルのサービスは実現できない。どうやって克服したのか。上海1号店の立ち上げで店舗の管理運営の責任者を務めた、極楽湯海外事業部長(管理担当)の中野達郎さんにお話を聞いた。
(※ 本連載のインタビューは昨年12月~今年2月に行いました。筆者の事情により掲載が遅れたことをお詫びします。肩書きは当時のものです)
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中野さんは上海に派遣された日本人スタッフの第一陣として赴任し、店舗の管理運営体制づくりを任されたそうですね。ゼロからの立ち上げにあたって、一番最初は何から始めたのでしょう。
中野:管理部門の役割は経理、財務、人事、総務など多岐にわたります。海外拠点では日本人駐在員のサポートや、財務上の本社との連携などの仕事もあります。どれも重要ですが、僕が上海に赴任した時の一番最初の仕事は、事務所探しとマンション探し。つまり、自分たちが働く場所と暮らす場所を見つけることでした。
着任したのは2011年5月で、この時点ですでに1号店の場所は決まっていました。そこでまず賃貸マンションを何軒か見て回り、お店に近い物件を社宅用に借りました。次は事務所を探そうと、マンションの仲介業者に相談してみたら、「うちのオフィスの空いたところを貸してあげるよ」と。
ところが、実際に貸してくれたのは机1つだけで、電話もインターネットも自分たちで引かなければならなかった。それで月3000元(約5万円)も取られたんです(苦笑)。これじゃあ事務所として使い物にならないということで、初期の頃は僕のマンションにスタッフが集まって仕事したりしていました。
コンサルは案外当てにならない
本社からは「コンサルタントに頼らず、何でも自分たちで解決せよ」と指示され、大変苦労されたとか。
中野:それは確かにありました(笑)。ただ、実は上海に赴任する前に、日本で複数のコンサルタントに相談したり見積りを取ったりしていたんです。ところが、コンサルタントによって言うことが全然違ううえ、びっくりするほど高額の見積りを提示されました。こちらは何もわからないから、結局どれが妥当なのかの判断もつきません。
例えば、1号店の開業にあたって中国でどんな許認可が必要なのか。店内にはお風呂だけでなく飲食も入りますから、複数の営業許可が要るだろうとは想像していました。すると、あるコンサルタントから「許認可の目的別に会社を設立しなければならず、全部で14社必要」と言われたんです。しかも、そのための代行手数料の見積りは億単位でした。
「なんじゃそりゃ。どうして14社も必要なんだ?」と、耳を疑いましたよ。でも、その頃は中国で会社を設立する手順さえ知りませんでした。そんなレベルからスタートしたので、ずいぶん失敗も苦労もしましたが、結果としては1社設立しただけですべての許認可を取得できました。
コンサルタントはさておき、まったく誰にも頼らず情報を集めるのは困難ですよね。どう解決したんですか。
中野:会社設立の手続きにしても、経理のやり方にしても、ずっと走りながら手探りで学んでいきました。最初の頃は取引先の邦銀や、そこから紹介してもらった日系企業を訪ねて、いろいろ教えてもらいました。この方法はすごく勉強になるうえ、おカネがほとんどかかりません(笑)。
また、僕たちが採用した中国人社員から現地の事情を教えてもらうこともありました。ただ、当初は自分の理解不足のために、彼らとよく口論になりました。例えば、ある事について「中国ではできません」と説明されると、「それじゃ前に進まないじゃないか」、「日本なら当たり前だぞ」とつい言ってしまう。そういうストレスは大きかったですね。
中国人社員のほとんどは、入社前は日本式のお風呂に入ったこともなければ、日本流の「おもてなし」の考え方も知りませんよね。
中野:彼らが日本のことを知らないのは仕方がないし、それは僕も理解しています。とはいえ、それ以外の仕事に関する常識や手順についても、中国と日本の間には見えないギャップがいろいろあるんです。
例えば、日本人は複数の仕事を抱えると先に指示されたものから処理するのが普通ですが、中国人は後から指示されたものの優先順位がいつの間にか上がっていることがよくあります。これは直近に言われたことを先にやっているからで、彼らにとっては普通なんです。でも日本人の感覚では、先に指示した仕事を勝手に後回しにされてついイライラしてしまいます。これは働き方の違いなのだという割り切りが必要です。
また、先日も部下に資料の見直しを指示したら、「出来ました」と持ってきたので確認すると、中国語から日本語への翻訳を見直しただけでした(苦笑)。そうじゃなくて内容を見直さなきゃダメなんですが、彼らは大真面目でやったつもりになっている。やる気がないわけじゃないのですが、物事を本質から考える習慣があまりなかったのかもしれません。
会社の経費ではダメ、自腹でないと腹を割らない
常識や習慣の異なる部下とうまく付き合うコツは何でしょう。
中野:よく言われることですが、中国人は仕事上の「上司と部下」の関係よりもプライベートな「個人と個人」の関係を大切にします。日本人のように、嫌いな上司に対しても「仕事だから」と割り切って従うとは限りません。
逆に上司の立場で言えば、部下との間に個人的な信頼関係を築かないと、ここぞという時に一生懸命やってもらえない。だから、僕もよく部下に怒っていますけど、心の中では「彼らは家族と同じなんだ」といつも自分自身に言い聞かせています。
普段から彼らを食事に誘ってポケットマネーでご馳走したり、お土産を買ってきたりといった気配りが大切です。ある時、本社の上司が「そういうことなら会社の経費を使ってもいいぞ」と言ってくれたんですが、実はそれではダメ。信頼関係のためには、個人のおカネでご馳走したり皆で割り勘にしたりすることにこそ意義がある。日本人には、この辺りの機微がなかなかわかりにくいですね。
部下の気持ちへの想像力が求められると。
中野:はい。若い中国人社員たちを見ていると、人間的には純粋で気持ちのやさしい子が多いんです。真面目にこつこつと頑張る子も、むしろ日本以上に多いと感じます。
中野:日本と中国の間のギャップには、僕たち日本人もイライラするけれど、彼ら中国人もイライラしている。例えば、彼らが「このくらいで十分だ」と考えることに対して、僕らが「これじゃ日本では通用しない」とはっきりダメ出ししますからね。彼らも悩むし、つらいだろうと思います。そういう心情は理解してあげないといけません。
ところで、初の中国進出で会社の知名度がないと採用自体も大変なのでは。
中野:確かに大変です。いろいろある僕の仕事のなかで、採用は一番重要と言っても過言ではないと思います。今でこそ中国の人材を見るコツや方法論がわかってきましたが、最初のうちは本当に悩みました。そもそも採用以前に、どうやって人を集めればいいのか。集めても、どう選べばいいのか。相手のどこを見て判断すればいいのか。まったくわかりませんでした。
日本からの第一陣で赴任したのは、私のほかに店舗設計の担当者と、日本で採用した元留学生の中国人通訳の3人でした。でも仕事を始めると、通訳がひとりではまったく足りません。
そこでまず、日本語ができる人材の募集から始めました。中国では毎週末、各地で「採用会」というイベントが開かれます。日本の「就職フェア」みたいなもので、日本語人材に絞った採用会もあります。そこへ出かけて行ってブースを出し、会社の紹介や面接をするんです。ところが、求職者たちはブースの前を素通りしてなかなか立ち寄ってくれない。
指示に従わない人は、その場で不採用も
どうするんですか。
中野:それはもう、会場でチラシを配ったり、ブースにのぼりを立てたり、動画を流してみたり、いろいろ試しました。
何しろ1号店のオープン前は、誰も極楽湯なんて知りません。また、我々は最初から女性をターゲットにした店作りを計画していたので、女性社員の募集に力を入れました。しかし中国の女性には、お風呂屋さんに対して「いかがわしい場所」という偏見があります。また、本人が入社に同意しても、親御さんに反対されて辞退されるケースが何度もありました。お嬢さんを日本に留学させられるような裕福なご家庭ほど、より偏見が強かったからです。
1号店が開業して女性の人気を集めるようになってからは、そういった苦労はほぼなくなりました。しかし、お店の現場で働いてもらう一般従業員やアルバイトの採用は今でもかなり大変です。
大都市の外食や小売りなどのサービス業は慢性的に人手不足で、転職もさかんと聞きます。
中野:それに加えて温浴施設に特有の事情もあります。冬場と夏場の繁閑の差が大きいので、お店を回すために必要なマンパワーも変化するんです。1号店の場合、冬場は260人は要りますが、夏場は160人で足りる。その差は主にアルバイトで調整していますが、採用活動のさじ加減が難しい。
中野:秋から冬にかけては人手を一気に増やさなければならず、一度に20~30人が入社することも珍しくありません。そのために毎日面接です。それでも、頭数の確保を優先して採用の基準を下げれば、質の低い人材が入ってサービスの水準を保てなくなる。それに、採用しすぎると春には人手が余ってしまいます。
どんな基準で採用するんですか。
中野:一般従業員に関しては、まず笑顔があるかどうか。服装や姿勢がちゃんとしているか。髪の毛に寝癖がついていないかもチェックします(笑)。また、採用後に最初の研修を受けている時の態度を見て、ふざけてばかりだったり、まったく指示に従わない人にはその場で帰ってもらうこともあります。
一般従業員と管理職では、意思疎通のしやすさに違いはありますか。
中野:学歴の高い管理職でも、やはり「個人と個人」の関係が大切だと思います。日本人はいったん指示を出せば、ある程度放っておいても「やるべきことをやらねば」と考えて行動するのが普通です。
その点、中国人はやはり人を見て行動するところがあって、放っておくとだんだんパフォーマンスが下がってしまうことがあります。怠けているわけではないのですが、マニュアル通りにやっていれば十分という考えになりがちで、目の前に改善すべき問題があっても見過ごしてしまう。やはり個人の立場で雑談したり食事に行ったり、常にコミュニケーションを保つことが、彼らの気付きのためにも大切だと思っています。
「公務員の主人の面子にかかわります」
中国人は面子にこだわり、管理職が現場に出たがらないという話もよく聞きます。
中野:一般的には、接客や清掃などの仕事が格下に見られていて、管理職がそれをやるのは恥ずかしいという意識があるようです。うちでも管理職候補で入った社員のひとりが、「知人に見られたら恥ずかしいので、接客以外の職場に配属して欲しい」と希望したケースがありました。そこで、なぜ恥ずかしいのか聞いてみると、自分自身が恥ずかしいというより、公務員のご主人の面子を潰したくないと。中国にはそういう考えもあるんだと驚きました。
でも、「お客様をもてなす」ことが極楽湯のサービスの原点です。現場が忙しくて手が足りない時は、管理職も自主的に現場に出て接客するのが当たり前。だから現場の仕事をきちんと理解しないとダメなんだと、僕はいつも口酸っぱく言っています。管理職向けの現場研修も繰り返しやっています。
中野さんも現場に出ますか。
中野:もちろんです。日本人だけ例外なんてあり得ません。ただ、中国語ができないと高度な接客は難しいので、僕は1号店のオープン当初はよく飲食の洗い場を手伝っていました。皿洗いは中国のサービス業の中でも地位が低いと見られがちで、仕事がきつくて辞めてしまう人も少なくない職場です。
そこで、僕が洗い場に入って一緒に働き、従業員たちに笑顔で接することで、職場の雰囲気を少しでも明るくしたいと考えてやっていました。また僕の方も、「やはり人が足りないな」とか「ここは改善の余地があるな」とか、管理面の様々な課題が現場に入って初めて見えてくることが多いんですよ。
日本人が手本を示すことで、中国人管理職の意識は変化しますか。
中野:そう思います。1号店の立ち上げ時期に採用した社員のなかからは、極楽湯の考え方を理解して自ら行動できる管理職が育ってきました。
中野:でも、僕はうちの店の現状に満足していません。お客様の満足度をさらに高めるため、サービスの質をもっともっと上げていきたい。その意味では、まだ課題や反省点が多いと思っています。
例えばどんなことですか。
中野:新店舗のオープン前なら、現場の従業員の研修にもある程度じっくり取り組めます。でもいったん開業した後は、次々に採用しては現場に入ってもらわなければならず、それほど時間がかけられません。特に冬場の繁忙期は、ちょっと研修不足で現場に出してしまっているきらいがあります。
そうなると、いつも笑顔で元気に接客したり、お客様の立場で考えるというサービスの基本がおろそかになってしまいます。毎日お店を回していくだけでも猫の手も借りたいなか、笑顔の出ない従業員にどうやって笑顔を出してもらうか。心からの笑顔を出すには、従業員の満足度を高める必要があります。どうすればいいのか。賃金体系や福利厚生はどうあるべきか。社員の意見を聞きながら日々自問しています。
やはり「タオルは取り放題」で
サービス改善にはコストもかかりますね。
中野:もちろんコストもしっかり考えるのは当然です。とはいえ、コスト優先でお客様の満足度が下がってしまったら元も子もありません。
例えばお店の廊下にゴミが落ちていると、日本ならお客様が拾ってくれたりします。でも中国のお客様はほとんど素通りです。だから日本以上に掃除をしっかりやらなければならない。そのためのコストは譲れません。
1号店の店内。素足で、好きな浴衣で、思い思いくつろぐ中国人客
また、極楽湯ではタオルは何枚でも取り放題、浴衣のチェンジも自由にしています。コストを考えて一人一枚に制限することも検討しましたが、お客様の立場で考え直してやめました。コストダウンも大切ですが、やはり満足度を上げていくことがお客様のリピートにつながります。それは中国でも日本でも同じなんです。
(次回に続く)
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