世界経済の変化が激しさを増すなかで、多くの企業が短期志向に陥り、持続的な成長を実現できずにいる。

 日経エコロジー7月号では10年以上の長期ビジョンを作成し、あるべき姿から逆算して経営改革を断行する「逆算の経営」の在り方を探った。

 特集ではその象徴として、マツダやコニカミノルタ、住友金属鉱山、ロイヤルホールディングスを選んだ。まずは金井会長にマツダ覚醒の原点を振り返ってもらった。(上「技術陣はワル乗りして10年先を考えた」は6月16日に掲載)

長期ビジョン「サステイナブル“zoom-zoom”宣言」を検討している2006年頃に、およそ10年先の2015年の社会や競合他社がどうなっていると予想したのですか。

金井:この頃、環境問題がかなり話題に上り始めました。

 トヨタさんが1997年にハイブリッド車「プリウス」を出された。それから約10年も経っていたが、その当時のプリウスは今ほどシェアはなかった。

 電気自動車については、1990年代に一時的なブームがありましたが、あまり普及しませんでした。

 我が社も水素のエンジン車などを開発していました。今からハイブリッド車や電気自動車を開発しても、先行しているメーカーにキャッチアップできる力はまずない。

 それと結構コストがかかるので、一部の車種だけを特殊なものにするのは、サステイナブル“zoom-zoom”宣言の考えにそぐいません。だから、全車に装着できる技術を優先しました。

<b>金井誠太(かない・せいた)氏</b><br /> 1950年生まれ。74年東洋工業(現マツダ)入社。96年同社車両先行設計部長、99年主査本部主査、2002年発売の初代アテンザの開発リーダーを務める。2003年執行役員車両コンポーネント開発本部長、2004年常務執行役員、2006年取締役専務執行役員、2007年に発表した長期ビジョン「サステイナブル“zoom-zoom”宣言」を取りまとめる。2011年代表取締役副社長執行役員、2013年代表取締役副会長を経て、2014年代表取締役会長に就く
金井誠太(かない・せいた)氏
1950年生まれ。74年東洋工業(現マツダ)入社。96年同社車両先行設計部長、99年主査本部主査、2002年発売の初代アテンザの開発リーダーを務める。2003年執行役員車両コンポーネント開発本部長、2004年常務執行役員、2006年取締役専務執行役員、2007年に発表した長期ビジョン「サステイナブル“zoom-zoom”宣言」を取りまとめる。2011年代表取締役副社長執行役員、2013年代表取締役副会長を経て、2014年代表取締役会長に就く

飯の種はどっちや

 たぶんマツダの100万台のうち、仮に5万台が特殊なクルマになったとしても、最初から黒字を出せるとは思わないし、残り95%は普通のクルマを売る訳でしょ。飯の種はどっちやっていったら、普通のクルマですよ。だからこっちで成功しようやと。

 当時も今もそうですけど、マツダの戦略としてはそっちの戦略の方が正しいとみんなが理解しました。

当時はハリウッドスターがプリウスに乗って、クールという雰囲気になり、流行始めていました。

金井:でもそれは話題性という意味であって、リアルな台数はそんなに伸びていなかった。
 一部のクルマだけに精力を注いでやるのと、全部に使える技術をやるのか。我々は全部に使える技術を優先した。

長期ビジョンには制約があるということですか。

金井:それは電気自動車やハイブリッド車を開発したい人からしたら、制約だったかもしれない。

 でもね。ここで世界一になろうやと。世界一になるための制約はありません。

 時代と共に自動車の総需要は増えるなかで、電気自動車は増えるでしょうが、様々な調査機関が示しているように、エンジンを積んだ自動車の方が圧倒的に多い。

 ベンチャー企業とかが電気自動車など一部の市場に参加したらチャンスはあるでしょう。

 しかし我々はエンジンでビジネスをしていた訳ですから、ここを切り捨てて一部の市場で頑張るという戦略はリスキーでとれません。

そういう中で内燃機関に注力し、世界一を目指す戦略をとったのですね。

金井:そうです。エンジンで世界一を狙った方が、全体を底上げできて全車種に展開できる。この時点でマツダがとるいい策じゃないかと判断しました。

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