自動車産業が激動期に入っている。人工知能やロボット技術の進化で自動運転の可能性が広がり、一般の自家用車で乗客を運ぶライドシェアが急速に普及している。
日本最大のメーカーであるトヨタ自動車は、この変化にどのように対応するのか。1つのキーワードが豊田章男社長が事あるごとに口にする「持続的な成長」だ。その「意志」の表れとして、2017年3月期の営業利益が前期に比べて1兆円以上の減益予想にもかかわらず、研究開発や設備などの投資を増やす。自動車産業の激動期におけるトヨタの意志を検証する。
初回は持続的な成長の道しるべとなる長期の環境目標を取り上げる。トヨタは昨年、「2050年にCO2排出ゼロ」という目標を掲げた。
同社は長期ビジョンを示すことに保守的と見られていただけに、大胆な目標は関係者を驚かせた。特に世間の注目を集めたのは、エンジンだけで動くクルマを限りなくゼロに近づけるという目標だ。競合他社の幹部は、グラフに描かれたハイブリッド車や電気自動車の比率を物差しで測ったほどだ。
「トヨタ環境チャレンジ2050」策定の中核を担ったトヨタ環境部の根本恵司部長に話を聞いた。
(聞き手は大西 孝弘)
トヨタ環境チャレンジ2050は、いつ頃から作ろうという話になりましたか。
根本:これまでトヨタは環境の計画を5年で回してました。
もともと2016年度~2020年度までの第6次「トヨタ環境取組プラン」を作る予定がありました。初年度の前の年の夏から秋にかけて公表する習わしですから、基本的に第6次プランを昨年の夏から秋に公表する計画でした。
ただ、従来のように5年ごとの計画を立てるだけでいいのかという議論になりました。
きっかけは2015年末に開催されたCOP21(第21回国連気候変動枠組み条約締約国会議)です。会議に至るまでの議論を見ていて、「これはたいへんなことになるぞ」という認識を持ちました。
環境で最終的にどこに向かうかという議論がなかった
5年後の目標は、いわばとりあえずの目標に過ぎないですよね。最終的にどこを目指して、どこに到達したいのかが本来の目標であるべきです。それに向けて次の5年をどうするかを考えるべきです。
トヨタは環境で最終的にどこに向かうかという議論がなかったので、5年後の目標の議論になっていました。
5年後は足元の実力で勝負するしかありません。できるかできないかの話に陥ってしまいます。
トヨタ自動車の環境部の根本恵司部長。「CO2排出ゼロ」という目標に対して、議論を始めた頃は厳しい意見もあったと振り返る(写真:鈴木愛子)
5年後だけの議論は、長い目で見るとかなり危険
5年単位の目標というのは、具体的な商品サイクルの範囲内にとどまりますね。
根本:クルマは5年後の商品をある程度決めていますから、できることは限られてきます。
5年後だけを議論していると、世の中のたいへん厳しい議論との温度差がかなり出てきます。長い目で見るとかなり危険ではないかという認識になりました。
トヨタは環境だけでいうと、中長期の目標を出したことがなかった。最終的にどこを目指すのかという社内の共通認識を作り、それを踏まえて2020年までの6次プランを作成するという議論の順番になりました。
ここまでくると発表するのは、6次プランでなく、長期目標をメインに公表した方がいいのではないかと、社内が切り替わっていきました。
COP21に向けて議論が白熱する中で、世の中もNPOやESG投資(環境や社会、企業統治を投資判断に入れる)の観点から企業への監視が厳しくなっていきました。
いろんなランキングがあり、情報開示も強く要請されます。それも過去の事実だけでなく、先々の考え方まで求められています。
そういう中で、我々も社外と社内のためにも何か言うべきではないか、という議論になりました。
「できること」から「やるべきこと」へ
社内のため、という意味も大きかったのですね。
根本:最終的に目指すところを一致させた上ではないと議論は進みません。足元だと常にコストの議論になってしまいます。環境はコストから入るとなかなか進みづらい領域です。
長期目標の策定において、コストの議論をどのように乗り越えるかが1つの大きな問題でした。どう乗り越えるかは、最後は会社の理念そのものだと感じました。
トヨタの次世代車開発の目標。競合他社はこのグラフのクルマごとの比率を物差しで測った
外部の方にどう見られているか分かりませんが、トヨタはCSR(企業の社会的責任)という言葉が普及する前から「世のため、人のため」という思いが非常に強い会社だと思っています。
特に印象的だったのが、内山田竹志会長が「できることをやるんじゃなくて、やるべきことをやろう」と常に言っていたことです。その言葉に(現場の)我々は救われました。
世界で温暖化に巡っての議論がなされている時に、我々がやるべきことはなんだろうと議論が飛躍できたのです。
その瞬間にコストを基準にできるできない、という議論から跳躍できました。
環境対策は準コンプライアンス
コストありきだと、環境目標が作りづらいのは良く分かります。
根本:そうですね。社内では「環境の取り組みは準コンプライアンスと捉えるべき」と話しています。
コンプライアンスはお金がないからやらないということが許されません。環境の取り組みはコンプライアンスとそうでない部分がありますので、準コンプライアンスが捉えるのがいいのではないでしょうか。
世のため、人のためということから入ると、かなり前向きな対応ができます。その上でコストをどうするかを検討する。コストを先に立てるのではなく、すべきことから議論を始めることが大事です。
もちろん社内では激しい議論になりました。最初の頃は「(環境部は)一体、何を言い出すんだ」と言われました。いきなりゼロと言い出しましたから、これは当然だと思います。
厳しい目標を発表すると場合によっては事業の足かせになることもあり得ます。
根本:真面目な会社ですから、コミットメントに近い形になるだろうという話になりました。
環境部が対話したのは、各機能の統括部署ですが、それぞれ微妙に立ち位置が違います。
環境部はコーポレートですから、会社の中長期の環境変化を読み解いて、必要であればリフォームすることを考えます。裏を返すと、足元の責任から若干解放されています。
ところが各機能部署は中長期の責任もあるものの、足元の責任を負っています。
両者の立場の違いを乗り越えるためには、様々な議論が必要です。経営の上層部に行けばいくほど、コストから理念寄りのお話になっていきます。
誤解ないように言いますと、環境部にとってもコストは無視できません。
ただ足元のコストの実力で判断してしまうと、環境の話は進まなくなってしまうのです。
2100年にはCO2を出せない環境になる
収益責任を持っている機能部署と一緒に中長期目標を作っていくのは難しい部分ですね。そこをどのように説得していったのでしょうか。
根本:かなり長い議論をしましたが、最終的には世の中でなされている議論をどう理解するかだと思います。
決め手になった資料があります。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のレポートです。これは科学的な知見です。CO2排出量と温暖化の進み方の相関を示したグラフです。
(2050年に世界で温暖化ガス排出量を2010年比41~72%削減すれば、気温上昇を2度未満となる確率が高いという)2度シナリオを世界が受け入れました。
ですので、2030年は相当な削減幅になり、2100年にはCO2を出せない事業環境になるんだと覚悟していました。これは経営の大前提が変わるぐらいの大きな話です。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のレポートによれば、気温上昇を2度未満にするためには今世紀後半以降にCO2排出をゼロ以下にしなければならない
この情報を見て、みなさんはどのように反応したのですか。
根本:これだけではなく、IPCCのこのレポートに類する資料や他社の先進事例も提示しました。
最終的には個別企業の話を超えて、こうならざるを得ないという結論になっていきました。
IPCCの2度シナリオに応えていかないと、商売が続けられなくなるということですね。
根本:そうですね。消費者の意識調査などデータは相当集めました。温暖化への関心やエコ製品への志向性なども高まっています。
他社の事例は見ましたが、IPCCのデータが突き抜けれています。2050年は短期ではないが、そんなに先ではありません。
新車走行時のCO2排出量を90%削減というのは、IPCCのデータから導き出した目標ですか。
根本:はい。IPCCの数字と各国の規制がリンクしていることは検証しています。燃費規制の推移を表にプロットしていくと、やはりIPCCが描く傾きで厳しくなっています。
技術陣は規制の動きもあり、たいへんだという感覚はあったと思います。
技術陣は理解しやすい部分はあったのですね。
根本:クルマの技術陣にとってCO2削減は避けて通れない部分でした。今、問われているのは製品だけでなく、サプライチェーン全般の取り組みです。
プリウスの開発に似ている
こうした演繹的な目標の作り方は欧米企業の得意分野に映ります。「環境チャレンジ2050」のような取り組みは、トヨタにとって珍しいアプローチですか。
根本:確かに積み上げ式で決めるプロセスが多い会社だと思います。
ただし、大きなチャレンジの時は、こういうケースもあります。今回はプリウスの開発に似ているのではないでしょうか。
私は開発出身ではありませんが、入口のところでコストや今の技術の議論になってしまうと、プリウスは開発できなかったかもしれません。
プリウスの開発エピソードについては内山田会長がよく話していますね。
根本:環境対応の製品で先頭を走ってきた思いはあります。ただ今回は、事業の隅から隅までで挑戦するという話です。
今回はトップの思いを受けながら、横同士でも連携を取りながら話を進めました。
既に世界一の販売台数を誇る自動車会社になっています。次に何を目指すかという時に、中長期的にチャレンジできる目標があった方が社員はまとまりやすいように感じます。
根本:はい、発表以降、社内がスッキリしたような気がします。
それまでは何を目標にするかが見えておらず、「環境部は余計なことをしてくれたな」と思っている人もいたかもしれません。
ただ目標が決まったことで、ここから先は一枚岩で進んでいけるところがトヨタのカルチャーです。
具体的にどのようなプロセスで長期目標を作り上げていったのでしょうか。
根本:環境部のメンバーが東奔西走して、議論を進めました。世の中で今何が起きていて何が議論されているかの情報を社内に入れていきました。
日々たいへんなオペレーションで忙殺されている現場は、なかなか外部のウォッチができないと思います。コーポレート部門が世の中の動きをきちんと補足して、解釈してシンプルな情報として流す必要があります。
みなさんが一同に会して議論する場もあったのですね。
根本:トヨタには環境関連の委員会が3つあります。基本はこの3つの委員会で大きな方針を決めます。
この委員会の前段階で特に侃侃諤々議論していたのですね。
根本:そうですね。ただ合意していないものも委員会に上げることもしました。
ゼロ目標は相当、議論があった
特にどんな議論が白熱しましたか。
根本:最終的は「ゼロとまで言うのか」ということですよね。
2050年に世界の工場でCO2排出量をゼロにするという目標は、かなりの再生可能エネルギーを使わないと難しいですよね。
根本:そうですね。再エネも調達で賄えるのか、自前の設備で用意するのかという判断があります。
これはいろんな検証があって、それならできそうだということで決めた目標ではありません。
今でも積み上げて目標達成が見えたという段階になっていませんから。
「必達という保証がない中で、本当に外に言うの」という話です。トヨタは言った以上、やります。その意味では、たいへん真面目な会社です。
長期目標があると、短期目標も立てやすくなりますか。
根本:最終的な目標があるかないかで、マイルストーンの立て方は変わってくると思います。
トヨタは時々、大きなチャレンジをして、それを乗り越えて、会社が強くなってきたと思います。
ですから長期目標はかなりのチャレンジになりますが、トヨタがひと皮むけるんだと思います。
トヨタ単独ではできない
昨年、「トヨタ環境チャレンジ2050」を発表した後は、周囲の反応はいかがでしたか。
根本:サプライヤーさんは相当驚いたようです。ビジネス上の直接的な関係がない方からは、「黙っていたトヨタがついに言ったか」という評価をいただきました。
2050年に新車や工場でのCO2排出ゼロのチャレンジを掲げてますから、一旦は「良く言った」という評価をいただいたと聞いております。
ただ、言ってしまった以上、それとの関係で「今の進捗はどうなのか」「実現できているのか」「うまくいっているのか」などと問われるので、これからがたいへんです。当然、それは覚悟の上なので、定期的に公表することになると思います。
ライフサイクルのCO2排出量を削減するために、従来とどんなことが変わりますか。
根本:従来から削減するためにサプライヤーさんにもお願いしてきました。長期目標の発表後に、サプライヤーさんに改めてお集まりいただいて、ご協力をお願いしました。
調達部門からサプライヤーさんにCO2削減についてご相談下さいと伝えています。
長期目標はトヨタの目標ですが、単独でできる話ではないことは我々は分かっています。
サプライヤーさんなどサプライチェーンを組んでいる方々は当然ですが、エネルギー事業者やインフラ事業者の方々のご協力がないと進みません。トヨタが一歩踏み出します。できればご一緒いただきたいという意志を持って発表しました。
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